🌌高橋桐矢先生🌌のブログの「死にたいという人が占いに来たら?」という記事 👇   👇   👇   👇   👇   👇   👇

👆   👆   👆   👆を拝読し、リブログさせて頂きました。

🌌高橋桐矢先生🌌と同業とはいえ、比較にならないほどの末端にして、いつ消えるとも分からない泡沫の占い師です。自著もなく、無名の占い師ですが 思うところがありまして、記事を投稿します。あくまでも個人的な見解ですので、ご笑納いただけますと幸いです。

🔮“死にたいという人”“生きることを諦めた人”だとすれば、そもそも占いには来ないんじゃないかはてなマーク……と思うのです。。。というのも、🔮占い🔮って音譜夢や希望音譜とかを見つけたりラブラブ生き甲斐ラブラブを探したり確認するための場所だと考えているので、“生きることを諦めた人”は近づかないように思えるのです。

🔮それでも、いろんな人がいますから、“生きることを諦めた人”“絶望した人”も、ゼッタイに来ないとは言い切れません。ですから、そういう状況になった時のことを考えておくのも良いと思います。


🔮“死にたいという人”であれ“生きることを諦めた人”であれ、“絶望した人”であれ、“死のうと決めてしまった人”であれ、心や頭のどこかに、かすかな希望が残っているような気がするのです。

🔮かすかではあっても、窮地から抜け出して新たな方向性が見つけ出せる希望や可能性が残っているのなら、そっちに向けて考え行動するほうが良いはずです。その糸口を見つける方法は、占い以外にも沢山あります。
         

🔮いろんな人がいて、占いも長くやっていると、“死のうと思いきれない人”や、“生きることを諦めきれない人”や、
“絶望しても希望を捨てきれない人”が来られることはあります。それから後に、生気を取り戻して復活し、笑顔で来られたこともあります。

🔮私はこの商売を始めた時には、いろんなことを考えていました。占いを究めたい有名になりたいカネも稼ぎたい本を出したい。。。残念なことに、どの望みも実現できていません。占いを究めたいというのも現在進行形で、完了形にはなっていません。あとの三つも夢のままです。

🔮今になって気づいたのは、相応しさが足りていない、身についていないということです。入れるものが出来ていないのに、器を造ろうとしていたのですね。そこに気付けたことは収穫です。
         
🔮この仕事を続けていていると、喜びを噛みしめて良かったと思えることが時々あり、その時々の笑顔が、商売の原動力になってもいるので、そのサイクルを維持することに徹します。

🔮ところで、「死にたいという人が占いに来たら?」という記事が投稿されたのも、あの哀しい出来事がキッカケかも❓・・・・・・と思い、生年月日を確認しました。あの星を持っておられる方には、折れやすいタイプが少なからずいらっしゃるようです。ご冥福をお祈り致します。

🔮境界線の向こう側に行ってしまう前に、窮地から脱する場所は少なからず存在しています。そして、陥っている状況から抜け出そうとすれば、解決策も見つかるものです。

🔮病に由来するもの以外の絶望や挫折は多くの場合、欲に飲まれたり振り回された結果としてもたらされるものです。医学は確実に進歩していますが、人の欲には際限がありません。
         
🔮それを味わった出来損ないのポンコツですが、いろんな言葉を支えにすることで慎ましく暮らしています。「貧しくとも、君の生活を愛したまえ。」というソローの言葉も、支えになっている言葉の一つです。