鉄道関係とは、近いようで多少はなれた話ではあるのですが
夕べ、職場で新聞を読んでいて見つけた記事
秩父太平洋 普通セメント生産中止へ
http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000001002240003
「◇本社工場 新年度上期中に
秩父市大野原の秩父太平洋セメント(倉田哲社長)が、2010年度の上期中に本社工場の普通セメントの生産を中止し、生産活動を大幅に縮小することが23日、明らかになった。同市と横瀬町の境界にある武甲山(1304メートル)の石灰石採掘事業は継続する方針といい、久喜邦康・秩父市長は「承服できない」と無念さをにじませている。
◇石灰石採掘は継続/武甲山
生産中止は、秩父太平洋セメントの親会社の太平洋セメント(本社・東京)の事業見直しの一環。秩父太平洋セメントの本社工場では約28万平方メートルの敷地で、年間に普通セメント60万トン、特殊セメント1万トン、石灰石製品20万トンを生産。近年は焼成炉を活用したリサイクル事業にも乗り出していた。
秩父太平洋セメントによると、上期中に2つある焼成炉の1基を停止し、普通セメントの生産とリサイクル事業を中止。もう1基で特殊セメントなどは生産し、三輪鉱業所と叶山鉱業所での石灰石採掘事業は続ける。従業員は161人で、本社工場は93人。
同社の前身の旧秩父セメントは、1923年に初代の諸井恒平社長が創立。25年に同市大宮に秩父第一工場、56年に第二工場を開設した。武甲山の豊富な石灰石を原料とするセメント製造を手がけ、23年の関東大震災後の復旧工事や戦後の首都圏の復興、高度成長期に生産を伸ばした。衰退する絹織物に代わる地場産業として秩父の経済を支えてきた。
同市の計算では、秩父太平洋セメントや同社従業員が1998~2009年に市に支払った固定資産税や市民税は計45億円で、市内ではトップクラス。運送会社など同社関連会社は14社になる。
しかし、セメント事業の低迷により、1999年に秩父第一工場は撤退。旧秩父セメントは合併し、94年に秩父小野田セメント、98年には秩父太平洋セメントとなり、2000年には分社して秩父太平洋セメントとなった。
(以下、省略)」
観光とともに秩父地方の経済を支える、旧・秩父セメント・本社工場での普通セメント生産の中止は
就労している方々の雇用や、関連企業の運輸などの産業面でも大きな影響を及ぼします。
当然、秩父太平洋セメント関連の輸送にも携わっている、秩父鉄道にも少なからずの影響はあると思われます。
2006年3月に製品セメントの輸送は廃止されて、現在、秩父鉄道は武甲山を採掘することで産出される石灰石の輸送を担当しています。
秩父鉄道の石灰石輸送自体は、影森(三輪)・武州原谷(叶山)~三ヶ尻の太平洋セメント・熊谷工場への往復が行われているので、貨物輸送では今回の秩父太平洋セメントでの普通セメント生産中止には大きく影響されないと思われますが、秩父地方の経済にはかなりの影響を及ぼすものと考えられます。(秩父鉄道にはむしろ、通勤などの旅客輸送での影響があるのかもしれません。)
秩父と言えば「セメント」と「観光」が思い浮かぶ埼玉出身の私にも、経済の構造不況が身近に感じられるところまで迫ってきています。
このようなニュースを聞く事の多い最近、この「底」を早く抜け出さないものかなと、切実に思います。