高山右近研究室のブログ

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・右近についての、Q&A (質問を受け付けています)
・右近研究こぼれ話 など

監修 右近研究家・久保田典彦
http://takayama-ukon.sakura.ne.jp/

管理 高山右近研究室
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    女瀬 ( にょぜ ) 川ベリの 「 アガパンサス 」 ( 愛の花 )

 

 

           七十九 七月十日 おめでとう!

 

 

● 2020年7月10日 ( 金 )、

 今日は、私 ( 久保田 Ucon 典彦 ) の 79歳の誕生日。

 

 年齢や 健康に関する 聖書の言葉を見てみますと、

 

   「 私たちの齢 ( よわい ) は 七十年。

    健やかであっても 八十年。」      ( 詩篇90篇10節 )

 

   「 人の齢は、百二十年にしよう。」    ( 創世記6章3節 )

 

   「 ( 父と母を敬え。) そうすれば、あなたは幸せになり、

    地上で、あなたの日々は 長く続く。」 

                     ( エペソ人への手紙 6章3節 )

 

   「 あなたのたましいが 幸いを得ているように、

    あなたが すべての点で 幸いを得、

    また、健康であるように 祈ります。」 

                      ( ヨハネの手紙第三 2節 )

 

● 79歳か ~ !

 いろんなことが ありましたが、神さまに守られて ・ 多くの人たちに

助けられて、よくやってきた と言えるかな?

 

 今のところ、薬の お世話になっていないし、入院経験もないし、

検診でも 特に引っかかってはいないし ・・・・・ なんだけれど、

 

 1年前 ・ 2年前 ・ 70歳の頃 ・・・・・ と 思い返してみますと、

 確実に ・ 着実に、体力も 気力も 弱ってきていることを感じます。

 

 前の道 ( 西国街道 ) を 通り過ぎて行く、子どもたち ・ 若者たちの声が聞こえてくると、 何と 輝いて聞こえることか!

 

 ここ最近は、

 コロナのせいなのか ・ 暑さのせいなのか ・ 加齢のせいなのか、

 わからないほど、体調が不安定で、体力もないし ・・・・・。

 

 ちょっと前までの、 “ 元気いっぱい! ” と はっきり言える時がなくて、慎重に 慎重に ・ 体のご機嫌を伺いながら、最小限のことをやっている感じです。

 

● 聖書によると、

 平均は 70歳。 健康な状態は 80歳まで。

 その後は、神さまの祝福を受けて、最高 120歳までは生きることが出来ても、いろんな人たちの お世話になっていくことになりそうです。

 

 私の、残された 地上での生命が いつまでなのかは わかりませんが、出来ることは きちんとしながら、

 “ 死に至るまで 忠実 ” ( ヨハネの黙示録 2章10節 ) でありたいと

思います。

 

     Hallelujah   Amen   Immanuel  !

 

 今晩は、妻が、「 天ぷら料理 」 を考えてくれているようです。

 

 

 

 

 

 

 ※ こちらも < おすすめ >   【 源氏物語 ・ 夕顔 】

 

https://www.youtube.com/watch?v=oiFLN62uFy0

 

 

 

 

          牛一は 見てきたように ウマく書き

 

         カリオンは 見聞きしてすぐ 書き綴り

 

 

● 事件があった本能寺から、数百メートル離れた場所に、

 都の教会 ( 南蛮寺 ) がありました。

 

 その日の夜明け前、教会では、カリオン神父が 朝ミサの準備をしていました。

 早朝の静寂を破って、銃声が響き、火の手があがるのが見えました。

 

 心配して、数名のキリシタン達がやって来て、様子を報告してくれました。

 その後も、よりくわしい情報をもって、カリオン神父の所にやって来て、事の重大さを伝えてくれました。

 

● カリオン神父には、太田牛一のように、想像で書いていくような

前知識は何もありませんから、

 自分でも 実際に見たこと ・ 心配して教会に駆けつけて来たキリシタン達から いろいろ聞いたことを、

 九州にいて、ローマに報告する仕事をしていた ルイス ・ フロイス神父の所に、報告書簡にして、送り届けたのでした。

 

 

● 1582年6月20日 ( 天正10年6月2日 )、水曜日のことでした。

 

 この事件は、町の人々の意表をついたことだったので、ほとんどの人には、それは たまたま起こった何らかの騒動くらいにしか思われず、事実、当初は そのように言い触らされていた。

 

 我らの教会は、信長の場所 ( 本能寺 ) から わずか一町を隔てただけの所にあったので、

 数名のキリシタンは、こちらに来て、折から 早朝のミサの仕度をしていた司祭 ( カリオン ) に、

 「 御殿の前で 騒ぎが起こっているから、しばらく待つように 」

と言った。

 そして、そのような場所で あえて争うからには、重大な事件であるかも知れない、と報じた。

 

 まもなく、銃声が響き、火が 我らの修道院から望まれた。

 

 次の使者が来て、

 あれは 喧嘩ではなく、明智が 信長の敵となり ・ 叛逆者となって、

彼を包囲したのだ、と言った。

 

 明智の軍勢は、御殿の門に到着すると、真っ先に警備に当たっていた守衛を殺した。

 内部では、このような叛逆を疑う気配はなく、

 御殿には、宿泊していた若い武士たちと 奉仕する茶坊主と 女たち

以外には、誰もいなかったので、兵士たちに抵抗する者はいなかった。

 

 そして、この件で 特別な任務を帯びた者が、兵士と共に内部に入り、ちょうど 手と顔を洗い終え、手拭いで身体をふいている信長を見つけたので、ただちに、その背中に矢を放ったところ、信長は その矢を

引き抜き、

 

 鎌のような形をした 長刀 ( なぎなた ) という武器を手にして出てきた。そして しばらく戦ったが、腕に銃弾を受けると、

 自らの部屋に入り、戸を閉じ、そこで切腹したと言われ、

 また 他の者は、彼はただちに御殿に放火し、生きながら焼死したと

言った。

 だが、火事が大きかったので、どのようにして彼が死んだかは判っていない。

 

 我らが知っていることは、

 その声だけでなく、その名だけで 万人を戦慄せしめていた人間が、

 毛髪といわず 骨といわず、灰燼に帰さざるものは 一つもなくなり、

 彼のものとしては、地上に何ら 残存しなかったことである。

 

 信長との戦いが、いとも迅速に終結し、

 同所にいた 数名の若い身分ある武士も、その際 殺されてしまい、

生存者が一人としていない 一方、

 御殿は、そのいっさいを含めて、猛火に包まれた。

 

 

   ( 「 日本史 」 第3巻 織田信長篇Ⅲ 第56章 P. 147 ~ 9 )

 

 

 

 

      「 何の音? 」 「 パッションフルーツ 落ちた音! 」

 

 

 

 ※ こちらも < おすすめ >   【 尺八 ・ 寄田真見乃 】

 

  ( 鹿の遠音 )

https://www.youtube.com/watch?v=HwY4MYJZ-Zg

 

  ( 鶴の巣籠 )

https://www.youtube.com/watch?v=Sv2je9arNz4

 

 

 

 

 

 

 

 

        講釈師 見てきたような 噓をつき

 

        牛一も 見てきたように ウマく書き

 

 

● “ 本能寺の変 ” の史実に関する 当時の記録として、大方の人

たちが 依拠しているのが、 「 信長公記 」 ( 太田牛一 ・ 著 ) です。

 

 私 ( 久保田 Ucon 典彦 ) は、 「 のぶながこうき 」 と言っていますが、一般には、 “ しんちょうこうき ” と言われていたりします。

 しかし、信長のことを “ しんちょうこう ” などと言っていたはずがありません。

 

 「 信長公記 」 は、織田信長の旧臣 ・ 太田牛一が、

 慶長15年 ( 1610年 )、84歳の時に完成させた、信長の一代記で、全10巻。

 信長が逝去して、28年後になります。

 

 

         [ 信長公 本能寺にて 御腹めされ候事 ]

 

 既に 信長公 御座所、本能寺を取り巻き、勢い衆、四方より乱れ入る

なり。

 信長も、御小姓衆も、 “ 当座の喧嘩を 下々の者ども、仕出 ( しいだ ) し候 ” と、おぼしめされ候のところ、一向に さはなく ( そうではなく )、ときの声を上げ、御殿へ鉄砲を打ち入れ候。

 

 「 これは 謀叛か。如何なる者の企てぞ 」 

と、御諚 ( ごじょう ) のところに、森蘭丸 申す様に、

 「 明智が者と見え申し候 」 と言上候へば、

 「 是非に及ばず 」 と、上意候。

 

 透 ( すき ) をあらせず、御殿へ乗り入れ、面御堂の御番衆も、御殿へ、一手になられ候。

 

   ( このあと、小姓衆 ・ 中間衆の討死の記録が続き )

 

 信長、初めには、御弓を取り合ひ、二、三つ 遊ばし候へば、何れも、

時刻到来 来候て、御弓の弦 ( つる ) 切れ、その後、御鎗 ( やり ) 

にて 御戦ひなされ、御肘に、鎗疵を被り、引き退き、

 これまで、御そばに 女ども 付き添いて居り申し候を、

 「 女は 苦しからず。急ぎ 罷り出でよ 」 と仰せられ、追い出させられ、

 既に 御殿に火を懸け、焼け来たり候。

 

 御姿を御見せあるまじきと、おぼしめされ候か、殿中 奥深く入り給ひ、内より 南戸 ( なんど ) の口を引き立て、無情に 御腹めさる。

 

 

● 臨場感あふれる記述になっています。

 

   信長  「 これは謀叛か。如何なる者の企てぞ。」

   蘭丸  「 明智が者と見え申し候。」

   信長  「 是非に及ばず。」

 

 ドラマや 物語では、見せ場 ・ 聞かせどころの せりふ になっていますよネ。

 

 でも、よくよく 考えてみますと、

 こうした 言葉のやりとりや、事件の経過を伝えることの出来るはずの、その場にいた者たちは、全滅してしまいましたから、伝えようが

ありません。

 

 太田牛一が その場にいたわけでも、勿論 ありません。

 聞き取りをして書いていくにも、聞く相手がいないのです。

 

 それにしては、聞いていたかのような ・ 見ていたかのような書きぶりになっています。

 

● 太田牛一さんに、インタビューしてみましょう。

 

 ━━ 「 本能寺の変 」 当日のことについては、牛一さんの記述が

   もとになって、ドラマや 物語が作られているのですが、

   牛一さんが その場におられたわけではないし、聞き取りをする

   ことが出来る相手も、全員、討死してしまったはずですよネ。

   どこからの情報を もとにされているのですか?

 

 「 信長公の 最期の場面ですし、威光を失わせることのないように、

  考えました。

  最期の様子を知りたいわけですが、残念ながら、それは叶いませ

  ん。

 

  と いくら言っていても、どうすることも出来ませんから、

  信長公の威光に 傷がつくことがないように、言葉を選びながら、

  記していきました。

 

  実録ではありませんが、皆さんが、私の記述をもとにして、信長公

  の最期を考えていってくださっているのだとしたら、感謝なことで

  す。」

 

 

 

 

 

 

 ※ こちらも < おすすめ >   【 講談師 ・ 神田香織 】

 

https://www.youtube.com/watch?v=yK47MU2Mhdk

 

https://www.youtube.com/watch?v=YauBRDnH4WM

 

 

 

 

 

 

 

    お茶タイム         よもぎ あんこ餅

 

 

     ※ 松田悦子牧師による 礼拝メッセージをもとにして

 

     ※ マタイの福音書 27章46節

 

 

● 私たちは、 [ 使徒信条 ]  において、

 「 イエス ・ キリストは、死んで 葬られ、よみ ( 陰府 ) に下り 」

 ━━ と、信仰告白しています。

 

 イエス ・ キリストは、確かに、死なれました ・ 墓に葬られました ・

よみに 下られました。

 

 イエス ・ キリストは、私たち ・ すべての人々の 身代わりとなって、

 死んでくださり、よみ に下られました。

 

 「 よみ 」 ( シェオル ・ 陰府 ) というのは、

 “ すべての人たちが、死後に行く所 ” です。

 最後の審判 ( さばき ) を受けて 行くことになる 「 ゲヘナ 」 ( 地獄 ) とは違います。

 

● 旧約聖書の時代と 新約聖書の時代では、

 「 イエス ・ キリストの復活 」 によって、状況が変わってきますが、

 

 旧約時代の人たちは、

 すべての人たちが、死んだら、 「 よみ 」 に下っていきました。

 

 「 私 ( ヤコブ ) は、嘆き悲しみながら、わが子 ( ヨセフ ) のところ

  に ・ よみ ( シェオル ) に下って行きたい。 」

                    ( 創世記 37章35節 )

 

 信仰をもって死んだ者が、 “ 天国に迎え入れられる ” ということは、

旧約聖書には 出てきません。

 

 アブラハムも ・ ヤコブも ・ モーセも ・ ダビデも ・・・・・、みんな、死んだあとは、 「 天国 」 に行ったのではなく、 「 よみ 」 ( シェオル ) に

下っていったのです。

 

● その 「 よみ 」 についてですが、どのような所なのでしょうか。

 

 イエス ・ キリストが、人々に語られた、 「 金持ちとラザロ 」 の話の中で、教えてくださっています。

 

 「 よみ 」 には、

 信仰をもって 死んで葬られた人たちが行く [ アブラハムの懐 ( ふところ )と呼ばれる、平安と安息の場所と、

 そうでない人たちが行く、炎の中で苦しみもだえる [ 苦しみの場所 ] 

が あります。

 

 そして、両者の間には、大きな淵があって、渡ろうとしても渡れず、

越えていくことは 出来ません。

 

 私たちが受けることが出来る “ 救い ” は、生前中のことであって、

死んでしまったら、その チャンスはないことを 教えられたのでした。

 

● イエス ・ キリストも、死んで 葬られ、よみ に下られましたが、

 勿論、 「 よみ 」 の [ 苦しみの場所 ]  ではなく、 [ アブラハムの懐 ]

に 下られたのです。

 

 そして、先に亡くなっている すべての聖徒たちに、 「 メシア預言 」 が成就したこと、ご自身が、3日目に、 “ 死とよみ に勝利して 復活する ” ことを 宣言されたのでした。

            ( ペテロの手紙第一 3章18 ~ 19節 )

 

 そして、3日目に 復活され、40日後に 昇天していかれ、父なる神の

右の座に着座されて、

 私たちのために、今も、 “ とりなし ” の祈りをしてくださっています。

 

● よみ にあった [ アブラハムの懐 ]  は、その後、 [ パラダイス ]  として 記述が変わっていきますし、

 パラダイスは、 天 ( 第三の天 ) にあるものとして 記されていますから ( コリント人への手紙第二 12章4節 )、

 イエス ・ キリストの昇天と共に、天に引き上げられ ・ 移されていったようです。

 

 「 まことに、あなたに言います。

  あなたは 今日、わたし ( イエス ・ キリスト ) と共に、

  パラダイスに います。」   ( ルカの福音書 23章43節 )

 

 「 私たちの国籍は、天にあります。」

                  ( ピリピ人への手紙 3章20節 )

 

● イエス ・ キリストを、“ 神であり 救い主である ” と信じる、新約時代の聖徒たちは、 「 よみ 」 に下って行くことは ありません。

 イエス ・ キリストが、私たちの身代わりとなって、 「 よみ 」 に下ってくださいました。

 

 私たちは、地上の生涯を終えて 召される時は、

 天のパラダイス ・ 天のパライゾ ・ 天国に 迎え入れられるのです。

 

 先に、信仰をもって 召された、多くの聖徒たちと会うことになります。

 

 直接 会ったことのない人たちでは、

 やはり、髙山右近さんや 細川ガラシャさん、キリシタン達と お会い

出来るのが、楽しみです。

                  ハレルヤ!

 

 

 

   トマト ではありません。    「 パッションフルーツ 」

 

 

 

 ※ こちらも < おすすめ >  【 幸若舞 ・ 敦盛 】

 

https://www.youtube.com/watch?v=JHkwInzEbZQ

 

 

 

 

 

 

 

    お茶タイム              水あんこ餅

    

 

 

● [ 明智一族の子孫 ] という時、

 「 土岐明智 」 「 明智 」 の両方を含め、それぞれの人物 及び 姻戚関係も含めていきますと、大変な数になっていくわけですが、

 

 明智光秀に限って言いますと、子ども達や その子ども達の流れに

なっていきます。

 

 3人の娘たちは、

① 長女で、最初、荒木村重の嫡子 ・ 村次に嫁ぎ、後に、明智秀満

 ( 三宅弥平次 ) に嫁した娘と、その子孫たち

② 次女で、織田信澄に嫁した娘と、その子孫たち

③ 三女で、細川忠興に嫁した 玉と、その子孫たち

 

 4人の息子たちは、

① 長男の光慶は、僧侶となり、子どもは いませんでした。

② 安古丸、 ③ 十内、 ④ 自然 は、

  山崎合戦の時期に、それぞれ、討死 ・ 自害していて、子どもは

  いませんでした。

 

● あと、考えられるとしたら、

 光秀の正室 ・ 煕子が、天正4年 ( 1576年 ) 11月頃に亡くなって、その後、再婚したようです。

 

 柘植 ( つげ ) 城主 ・ 喜多村保光の娘を 正室として迎え、

 “ 本能寺の変 ” の年 ( 1582年 ) の正月に、内治麻呂 ( うちちまろ ) が 坂本城で 生まれています。

 この 内治麻呂の子孫たちがいることになります。

 内治麻呂の前にも、子ども達がいたかもしれませんが、伝えられてきてはいません。

 

● “ 光秀に 側室はいなかった ” と信じたいですが、

 ほかの史料からは、光秀の子どもとして 名前があがってきている者も、結構な数になっているのですが、

 深入りしないことにしたいと思います。

 

 

 

     近くを流れる 女瀬 ( にょぜ ) 川 土手の 「 アベリア 」

 

 

 

 ※ こちらも < おすすめ >  【 B T S 】  Stay Gold 他

 

https://www.youtube.com/watch?v=1qGQmDt6u60

 

https://www.youtube.com/watch?v=XsX3ATc3FbA

 

https://www.youtube.com/watch?v=5DXnWmt_9lw

 

 

 

 ※ もう一つ < おすすめ >  【 小谷城 】

 

https://ameblo.jp/ma621coeur/

 

 

 

  今晩 ( 7/6 ) の 久保田食堂   「 なすと春雨の挽肉炒め 」

 

 

 

 

 

 

 

 

● 明智光秀の出自が、謎に包まれていることに違いはないのですが、歴史研究家の 津田勇さんが、 [ 続群書類従 ] に記されている

 「 明智系図 」 と 「 尊卑分脈 」 をもとに、検証してくださっています。

 

 ややこしくなってしまっていますのは、

 「 土岐明智 」 と 「 明智 」 があって、

 両者とも、可児 ( かに ) 郡明智荘 ( 岐阜県 ) を所領としていたからでした。

 

 もともとは 一つであったとしても、

 途中から、「 土岐明智 」 と 「 明智 」 に分かれました。

 

 「 土岐明智 」 の方では、名前に、頼篤 ・ 頼秀 ・ 頼弘 ・・・ など、

 “ 頼 ” の字が継承されていき、江戸時代まで続いていきました。

 

● 一方、「 明智 」 の方は、 “ 土岐 ” がはずされて、 「 明智 」 だけとなり、しばらく “ 頼 ” の字が 名前に継承されましたが、

 頼連の時に、細川政元や 将軍 ・ 義澄の側についたために 没落 ・ 途絶してしまいました。

 

 頼連の弟の 光重は、都とつながりのある 華々しい活動はしませんでしたので、没落からは免れました。

 

 光重の一統は、名前に “ 光 ” の字を継承していき、

 光重 ━ 光兼 ( 光継 ) ━ 光綱 ( 光隆 ) ━ 光秀 ━

 光慶 ( 玄琳 ) ・・・・・ と続いていきます。

 

 光秀の子どもの 玄琳は、「 愛宕百韻 」 の 挙句を詠んだ 光慶で、

 唯一の “ 光秀画 ” が現存している、岸和田市 ・ 本徳寺を開基した

人になります。

 

 

 

           近所の お宅の 「 むくげ ・ 木槿 」

 

 

 

 ※ こちらも < おすすめ > 【 ノクターンのコツ ・ 森本麻衣 】

 

https://www.youtube.com/watch?v=RmDLq9Ta4G0

 

 

 

 

 

 

  今晩 ( 7/5 ) の 久保田食堂

    高槻カントリー俱楽部 名物 「 たかつきの ビーフカレー 」

 

 

 

 

 

● 天正10年 ( 1582年 ) 6月1日の夜、亀山城において、

 明智光秀は、忠臣の4名、明智左馬助秀満 ・ 明智次右衛門 ・ 藤田

伝五 ・ 斎藤内蔵助利三 ( としみつ ) を集めて、

 “ 信長を討ち、天下の主となる ” 決意を打ち明けました。

 

 信長は、5月29日に、20 ~ 30人の小姓衆を連れて、安土から

上洛し、宿所である 本能寺に入っていましたが、

 信長は この後、羽柴秀吉から要請を受けて、備中 ・ 高松城攻めの

最後の決着をつけるために、中国地方へ向かう予定でした。

 

 その与力と考えていたのが、

 明智光秀隊であり、大和の 筒井順慶の部隊でした。

 

 光秀が 本来、直接 中国地方へ向かうはずだったのを、

 急きょ 変更して、京に向かった! ━━ というのでは なさそうです。

 

 信長が、わずかな供廻りのみで 入京したのは、

 光秀や 順慶たちの軍勢の集結を待っていたのです。

 光秀らに、京都 あるいは 京都近郊での集結を指示していたと思われます。

 

 光秀隊が 京都に向かうことは、予定の行動でした。

 光秀が 家中の者に、 “ 信長公のもとでの閲兵のために 入京する ”

と触れたのは、偽装工作ではありませんでした。

 

 信長は、光秀や 順慶の部隊を 京都に集結させ、それを率いて西国へ向かおうとしていたと思われます。

 

● 明智隊は、1万3千人の 大部隊ですので、2隊に分けて 京都に

入りました。

 

 本隊は、山陰道を通って、 老ノ坂 ➡ 沓掛 ➡ 本能寺

 分隊の 明智次右衛門隊は、 唐櫃越 ➡ 四条街道 ➡ 本能寺

 

● 6月2日、本体の全軍が 桂川を渡り終わったところで、

 光秀は、士卒たちに、決意を披瀝し、

 “ 敵は 信長 ・ 信忠である ” ことを宣言し、

 草鞋 ( わらじ ) を 新しいものに履き替えること ・ 火縄に火をつけること などの、実戦態勢を取らせます。

 まさに、 「 敵は 本能寺にあり! 」 ━━ です。

 

 本能寺に到着した 明智軍は、周囲を包囲しましたが、

 考えもしないことでしたので、本能寺は、門が開かれていて、まったくの 無防備でした。

 

 信長の周辺にいた兵力は、せいぜい、200人ほどで、多勢に無勢、

瞬く間に 信長を追いつめました。

 

 信長の命令によって、御殿に 火がつけられ、

 信長は、激しく炎上する御殿と共に、最期を迎えました。

 

 ただし、信長の最期を見届けた者は、一人もいません。

 光秀は、信長の遺体を、隅々まで探させましたが、見つけることは

出来ませんでした。

 

● テレビや 物語などでは、興味深く、いろいろに描かれていますが、真相は、以上のようなことかもしれませんョ!

 

 

 

 

 

 

 ※ こちらも < おすすめ >  【 バスを響かせるコツ! 】

 

https://www.youtube.com/watch?v=V-qT6cEaXnQ

 

 

 

 

 

● 食欲とか 性欲とか、欲 と呼ばれるものは、生命 ・ 生命力と関係があります。

 食 ( 欲 ) と性 ( 欲 ) は、生命の両輪のようなものです。

 

 この内、食は、食べていかないと生きていけないので、わりと わかりやすいのですが、

 性は、原罪の結果、歪められた形 ( 好色 ・ 姦淫 ・ 売買春 ・ レイプ

 ・・・ など ) になってしまっていたりして、あるべき姿が わかりにくくなってしまっています。

 

 食欲は、生まれた赤ちゃんの時から、高齢になっても、死ぬまで続いていきますが、

 性欲は、青年 ・ 壮年期をピークとして、あとは 減退していきます。

 しかし、無くなるわけではありませんし、生命のために、大切な働きをしています。

 

 性欲には、ホルモン ( 男性 ・ 女性 ) の分泌が 関係しています。

 

 ピークを過ぎると、いわゆる 更年期となり、ホルモンの分泌も減少

していきますが、

 年齢だけではなく、正しい男女関係がないと、同様のことが起こります。

 

 ホルモンの分泌減少と共に、男らしさ ・ 女らしさ が失われていき、

 それがなくても、形だけは 生きていくことになります。

 片輪を欠いた、食欲だけで保たれている生命というわけですから、

 生命力があふれた生命 とは言えません。

 

● 夫婦が、年をとっても、男女ホルモンの分泌が続き、いつまでも、

互いを必要とし、一つとされていくことは、

 生命が、最後まで輝いていくためには、大切にしないといけないことです。

 

 性に関しては、他の動物たち ・ 鳥たち ・ 虫たちを見ても、

 男性 ・ 雄の方が 能動的です。

 女性 ・ 雌の方が 受動的ですが、

 相手を損なうことなく、両者が一体となって 初めて、一致と喜びを

体験していくことになります。

 

 夫婦一致の象徴としての、心と体の交わりです。

 しっかり食べて ・ しっかり交わって、

 生命力にあふれた、輝く生命で ありたいと思います。

 

   信頼し合う 夫婦関係 ・ 男女関係

   大切にし合う 夫婦関係 ・ 男女関係

   互いを必要とし合う 夫婦関係 ・ 男女関係

 

 ━━ で、ありたいですネ!

 

 

 

 

 

 

  

 やっと、図書館で予約していた 「 源氏物語 下 」 ( 角田光代 ・ 訳 ) がまわってきて、 [ 宇治十帖 ] を 読み始めています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    ※ 松田悦子牧師による 礼拝メッセージをもとにして

 

    ※ ガラテヤ人への手紙 2章 1 ~ 10節

 

 

● 使徒パウロは、イエス ・ キリストから直接、選ばれて、ユダヤ人

以外の人たち ( “ 異邦人 ” と言われていました ) に、

 「 イエス ・ キリストの福音 」 を伝えるように、働きを託されました。

 

 パウロは、多くの苦難を経験しながら、

 それまで 木や石や金属で作られた偶像を大切にしながら信仰していた人たちに、イエス ・ キリストによる 「 福音の真理 」 を伝えていき、多くの人たちが イエス ・ キリストによる救いを受けて、クリスチャンとなっていきました。

 

● しかし、そのようにして 新しくクリスチャンになった人たちの所に、

ユダヤ人達が 忍び込んできて、

 「 救われるためには、旧約聖書に書いてある通り、律法を守らなければならない。割礼を受けなければならない。」 ━━ と言って、

 クリスチャン達を惑わし ・ 動揺させて、 “ そうかもしれない ” と思わせていったのでした。

 

 パウロは、神からの示しを受けて、エルサレムに出かけて行きました。

 エルサレムを中心にして、ユダヤ人達に対して 「 イエス ・ キリストの

福音 」 を伝えている、使徒ペテロたちと “ 一致して宣教していくために ” でした。

 

● クリスチャンであるためには、

 ・ 律法を守り ・ 励んでいくことが、必要条件なのか?

 ・ 割礼を受けなくてはならないのか?

 

 エルサレムで、クリスチャン達の柱として 重んじられていた、

 ヤコブ ( イエス ・ キリストの弟 ) ・ 使徒ペテロ ・ 使徒ヨハネ と会って 話し合いましたが、

 

 ペテロ達が ユダヤ人達に伝えてきている 「 福音の真理 」 と、

 パウロ達が 異邦人達に伝えてきている 「 福音の真理 」 には、何ら

変わりはなく、 “ 何も付け加える必要がない ” ことを確認し、一致しました。

 

 そして、改めて、

 ペテロ達が、ユダヤ人達のために ・ パウロ達が、それ以外の人

 ( 異邦人 ) 達のために、 「 キリストの福音 」 を伝えていくことを、再確認したのでした。

 

● 私たちも、案外、陥りやすい ワナ です。

 

 「 そんな ええ加減なことをやっていて、やるべきことをちゃんと

  しないでいて、 [ イエス ・ キリストの福音 ・ 救い ] を受けよう

  なんて、根本が、おかしいでしょ?!

  そんなことは ありえない! 」

 

 「 やるべきことを ちゃんと やってこそ、

  [ イエス ・ キリストの福音 ・ 救い ] も、意味があるんですよ! 」

 

 ━━ そうだ! そうだ! と思わないでください。

 

 何かをしたから ・ するから ではなく、

 救いは、主なる神さまからの、一方的な恵みです。

 

 ちゃんと出来るような、私たちではないのです。

 

 まず、イエス ・ キリストによる 救いの恵みを受けて、

 そして、やるべきことも、ちゃんとやっていくのです。

 

 ちゃんとやらないと、救われないよ! ━━ ではなく、

 救われたんだから、ちゃんと やっていこうネ! ━━ ということ。

 

 

 

 

 

 ※ こちらも < おすすめ >  【 SALTY ・ 虚像と実像 】

 

https://salty-japan.net/2020/07/01/kyozo-to-jituzo/

 

 

 

          「 アガパンサス 」 ( アガペー ・ 愛 の花 )

 

 

● [ 連句 ] を、毎月 一巻ずつ、夫婦で時間をかけて、紡いできています。

 

 [ 自在連句 ] で、 “ 連句 ” の いろんな約束事をはなれて、

 知的な言葉遊びではなく、日々の歩みを見つめる時にしています。

 

 2020.7.1 ( 水 ) に、6月分を 巻き終わりました。

 2019年 9月にスタートしましたから、これで、10巻目の連句集に

なります。    感謝主!

 

 

   自在連句 ・ 両吟 ( 夫婦 ) 歌仙 【 誠の愛 】

 

    百日紅 百のがらさの 右近像    典彦

      畑の苺 ゆったり長閑 ( のどか )  忠子

    通学の 子等の活気と 夏の服    忠子      

       無事退院の 夏便り来て       典彦    

    枝豆の 色も美味しい 夕餉かな    典彦  

       マスクカラフル コロナ用心     忠子 

 

    教会の 礼拝再度 青葉照る      忠子

       いただいた枇杷 最後のひと口  典彦

    あじさいの 一期一会の 時を撮る

      濡れた梔子 ( くちなし ) うなだれ静か 忠子

    滋さん 天の御国へ 梅雨の蝶

      冷ラーメンを 工夫こらして      典彦

  

    寝ころんで モーツァルト聴く 夏の午後  典彦

      雨上がり会う 蝸牛大 ( かたつむりだい ) 忠子

   朝顔を 鉢植えにして ほっとする

      さりげない愛 ゴールドキウイ    典彦

   ときは今 雨が下なる 大地かな

     水田に沿って 思い出散歩     忠子

 

   ラベンダー 青空市の 様見つめ    忠子

     病む妻が呼ぶ 「 氷菓 ( アイス ) 食べたい 」  典彦

   花ざくろ 時にかなって 美しい

     コーンの色香 味わいうれし    忠子

   友と会う アガパンサス が 咲いた午後

     愛の喜び 今日は父の日      典彦

 

   梅雨晴間 受洗の恵み 誠の愛   典彦

     一箱に あい サクランボ満つ   忠子

   涼風を 背に筆運ぶ マイタイム

     あじさい三つ 父 ・ 子 ・ 聖霊   典彦

   日々一つ 積み上げてきて 夏木立

     姉のガイドは オクラの花 実   忠子

 

   突然の 友の訃報に 梅雨はげし  忠子

     一つ咲く百合 さびしからずや   典彦

   夫婦百句 夫婦千句の 花野かな

     紫蘇ジュースの香 仕上り OK  忠子

   花見上げ 舞った姿を 思い出に

     晴れても感謝 雨でも感謝    典彦

 

 

              二〇二〇年六月

 

 

 

 

  

 

 ※ こちらも < おすすめ > 【 ゴスペル演歌 ・ 振り返れば 】 

  

https://www.youtube.com/watch?v=izBSJ7SJfwQ&feature=emb_logo

 

 

 

 

 

 

   お茶タイム         水ようかん & 水まんじゅう