死想

死想

死と神とスピリチュアルの間からみるこの世とはなにか

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霊感だけでも、信仰だけでも、スピリチュアルだけでも見えないこと、解らないことがある。

それは時に、「死」を強く想った時に「それ」は見えたりする。

 

この世は魂の修行場である。宇宙人の刑務所である。地獄である。

罪があるから人間界に生まれているので、この罪を悔い改め魂を磨かないといけないのである。

そのために肉体を持ち、仕事という修行をし。。。。

と、私もそう思っていたが、はたして本当にそうだろうか。

確かに仕事は神からの罰だと思う。修行でもあるだろう。

しかし、悔い改めるのであれば、人間という肉体なんていらないはずだ。

魂だけ暗闇にでも放り込んでただひたすら後悔、悔い改めさせればいいだけのこと。

この方がよっぽどいい修行だと思う。

と言うと、肉体があってこその学びだ、とその世界の識者達はいうだろう。

それこそ神霊界からの思い込み、刷り込みではなかろうか。

そこに肉体があるかないかは関係ない。人間界をみれば一目瞭然。人はいつまでこんなことをしているのか。

そしてこの世は神霊界の写し絵なのだから、もうどうしようもない。

正神と邪神で阿呆な争いをやっているもんだから、人間などもっとどうしようもないではないか。

学びや修行どころではない。あらかじめそうさせない世界に出来ているのである。

まずはお前達の世界をなんとかしろ!と私はいいたい。

この世の99%の神は邪神であり、それらが人間界を支配している。

では真の神とは、、、、。

いやむしろ真の神こそ人間などどうでもいいはずである。

神は愛だとか、救いだとか、そんなものはない。

我々はただの駒であり、仕組みの中で動かされている。それだけである。

そして、その仕組みに気づいた者は虚しさに悩み転げまわり落ちていくのである。

 

 

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