地下鉄の終点が北大路で、京都発なんば行きの近鉄特急があった頃のハナシです。
当時まだ少年であった自分が、初めて東京へ行くことになったのも面倒なことに、とある競技の代表になってしまったことでしたな。
自分の父親も、その頃はまだ存命で、
「子供一人で東京なんて、とんでもない!」、と反対する母親を抑えて、
「電車いっぱい乗ってきぃ!」、と、金3万円を出してくれたのでした。
東京へ朝9時前に到着しているためには、当時は夜行で行くより他なく、選んだ方法が各停(一部快速)の夜行列車だったわけです。
大垣というのは岐阜県にある東海道本線の駅で、ここからなんと東京駅まで直通する、特急でも急行でもない夜行の列車が当時あったのですね。
20時ごろに大垣を発車し、東京には早朝4時半くらいに着く、というオッサンにはキツすぎる時間帯も、当時まだ少年だった自分には、かえって楽しみでありました。
大垣で乗り込んだのはグリーンとオレンジで塗装された、以前はかなりよく見かけた湘南型とかいう塗色の列車でしたな。
大垣ではまだまだお客の少なかった列車も、名古屋の前後では通勤帰りのお客で混雑します。
駅で停車中の車窓から見える、線路わきの民家のテレビ画面には、当時人気だった「欽ドン!良い子、悪い子、普通の子」が映っているのが見えましたな。
通勤帰りのお客たちが皆降りるころには、各停だったのが快速列車に変わり、夜更けには駅での停車時間が15分とか30分とか悠長になり、そしてついに東京着です。
真夏だったので、東京はもうすっかり明るく、パープルタウンめいた東京の朝を体感したのでした。
ちなみにこの頃はまだペットボトルなんてものはなく、お茶なんかは売店で耐熱プラ容器にその場でお湯を入れたのを買っていたわけで、静岡駅で駅弁売りのおっちゃんから買った「缶入りお茶」に、カルチャー・ショックを受けたりもしたわけですが、時間が経ってから飲んだときのその苦さや(゚д゚)マズーは今でも覚えていたりしますな。