王朝和歌の世界には、「制詞」とか「制の詞」というものがありまして、特別に独創的な表現を成した作者さんに敬意を払って、その作者の存命中は、同じ語による表現を回避するような慣習があったわけです。


新古今集春歌にある寂蓮の、


暮れてゆく春の湊は知らねども霞みに落つる宇治の柴舟


これの「霞みに落つる」なんかがそうであったと、記憶しております。


で、本題なんだが、「器が小さい」というフレーズが、世の男性を攻撃するに際して、たいへん狡猾に悪意をもって、フル活用されているように思われるわけです。


「器が小さい」というのは、本来的には猛烈に辛辣な悪口なので、師匠格の人物が弟子格の人物に限定して用いるべき筋合いのものなんだが、現実世界ではどういうわけか、世の女性が男性を批判するときに頻繁に出現しては、あさましく不快な濫用がなされていますね。


何に対しましても、「別にどうだっていいよ」的な、まるで民主党のようなスタンスでいますと、世の女性から、「器が小さい」などという批判を浴びる可能性は極端に低くなり、逆に、男の側が稀にでも主義主張を明言したりしますと、途端に、「器が小さい」、の連呼を浴びる悲劇に見舞われます。


「器が小さい」を躊躇なく発言するには、発言者側の優越性が場の共有認識であることが必須なんだが、現実にはそんなことはお構いなしに、というか、ゴミドラマで劣化した女性脳には、前提も何もあったものではなく、単に奔放な我儘が少しでも妨害を受けた途端に、思慮らしい思慮もなく半ば反射的に口をついて出てくるような有様ですね。


「器が小さい」、は、安易に用いるべきレトリックでもないので、誰かが言葉狩りでもして、いっそ永久に「制詞」にしちゃってください。よろしく。