このドラマは今期1番考えさせられるドラマだった。
よくありがちな不良生徒を更生させる、みたいな派手な内容ではないが、
どこにでもいそうな生徒のありがちな問題を、倫理社会の授業を通して解決に導いていく。
特に7話と最終回の8話は、私にとってとても共感できる題材だったので、
自分語りもふんだんに入れて感想を述べるつもりだ(笑)
長くなりそうなので、7話8話の2回に分けて書くことにする。
このドラマは高校で倫理学を教える教師高柳を中心に
毎回違う生徒が主人公になるが、
全編を通してメインメンバーとも言えるのが「いち子」と「恭一」だ。
いち子は、高柳と出会うまでは男子に望まれれば簡単に体を許してしまうような女子で、
恭一は友達がいないいじめられっ子だった。
2人とも高柳に出会い、授業を受けることで自分を取り戻していく。
第7話は、クラスのノリについていけない香緒里という女子生徒が主人公。
3年4組は高校最後の体育祭に向けて盛り上がっていた。
全員参加のクラスチャットを作って、みんなそれを楽しんでいる。
香緒里はそんな中で、自分なりに距離を取っていた。
チャットを退会したいと思いながらも迷いがあってできない。
「合わないノリに無理に合わせたいとは思わないが、
このノリを楽しめたら楽なのに・・・」
そんな中、ある日の倫理の時間に様々な主義について学ぶ。
資本主義から生じた貧富の差などの社会問題を解決するために生まれた社会主義。
しかしそれも、全員平等という競争のない社会で人々が努力を怠るようになり、
経済が回らなくなって破綻するという問題も起きた。
「時代や社会、場所や地域によって何が正義とみなされるか変わる。
政治や経済に関する主義主張は無数にある。
そのどれもが不完全だからこそ、真の幸福な社会を目指して人々は考え続けている。
この世界の矛盾をすべて解決するような新しい主義が生まれるかもしれない」
この授業を受けた香緒里は自分は何主義なのか考える。
あることがきっかけで、いち子も同じようにグループチャットに違和感を抱いていると知り、
香緒里、いち子、恭一の3人は放課後再び高柳と教室で語り合った。
高柳はそこで「個人主義」と「集団主義」について話し始めた。
個人主義=個人の自由、独立を尊重する
集団主義=個人よりみんなで一緒を第一に考える
そして高柳は香緒里といち子に対して
「お二人は個人主義ですね」と言った。
いち子が今のクラスに感じていること、それは、意味もなく仲良くして、
つまらないことで騒いで、みんなで同じノリ、みんなで青春!うちら最高だよね!
みたいに同じことを叫んでいることが無意味。
チャットの通知がうるさくて勉強の邪魔になる、ということだった。
そしてグループを退会すると言い出す。
高柳はそれが虐めに発展する可能性を心配した。
「結束力の強い集団の怖いところは、
異端分子がいれば猛烈に排除しようとするところ。
個人は集団の中に紛れ、その存在は消えてしまう。
すると気が大きくなり始めて個人ではとてもできない惨いことを集団ではできてしまう。
集団の前に個人の権利や尊厳が軽視されるようになったら
それは全体主義という名の怪物となる」
「集団でしか成し遂げられないことは多い。
ある程度許容できる範囲内で受け入れる。
どんな主義主張でも最後に目指されるのは幸福のみ。
どうすればより多くの幸福を実現できるのか考える、それが倫理」
この話を聞いて、いち子はグループチャットを退会することに決めた。
「自分の幸福の選択はグループチャットを抜けること」
虐めに発展することは気にしないといういち子に対して、
香緒里はもう少し考えてみると。
「1人が好きだけど、それだけではないかもしれない・・」
そしていち子はグループチャットを退会し、それが元で虐めが始まる。
話の続き、最終回については次回書くことにして、
自分は完全に個人主義だなと納得した。
いや昔からそうだとは思ってたけど(笑)
さ~ここから自分語りが始まるよ~^^;
ドラマの最後にいつも高柳役の山田裕貴が視聴者に問いかける言葉があり、
この回では「“ひとりで”と“みんなで”あなたはどっちが好きですか?」だった。
私は「ひとりで」と即答していた。
みんなでワイワイ何かをやるよりも、1人でコツコツとやる方が好きだし、
人数が多い職場よりも個人仕事が成り立つ職場が好きだった。
実際に正社員だった時もパートの時も、私に一任されるような仕事が多かった。
おそらくこのブログをお読み下さっている方々は、マリちゃんファンが多いと思うので、
分かりやすくSZの応援の仕方で個人主義を語ってみる。
そもそもグループ全体を応援する「箱推し」ではなく、
マリちゃんの「オンリーファン」であるということでもうお察しだよね^^;
でも同じオンリーファンでも、他のSZファンに合わせることができる人と、
そうでない人の違いはあると思う。
SZが5周年を迎えた時の「らじらー」、
ファンはみんなでTwitterのアイコンを薔薇に変えてツイートしていた。
私はそういうノリがちょっと苦手だ。
年寄りだからじゃないよ、昔からそういう性格なの^^;
自分のアイコンには思い入れがあり、たった1時間だけでも変えたくないという気持ちもあった。
でも、それでハッシュタグを付けてツイートすると悪目立ちするし、
せっかくメンバーも喜んでいて、みんなで楽しんでいることに水を差す。
だから私はハッシュタグを使わずに数回呟いてからTwitterを閉じた。
言いたいことは後でブログで思いっきり書けば良いんだしね^^
誤解して欲しくないのは、薔薇のアイコンで揃えたことを批判してはいない。
むしろメンバーも喜んでいて、ファンと共に楽しめて良かったと思う。
だから私がツイートをやめたのは「自己犠牲」ではなく「許容範囲内の受け入れ」
もしくは他の人たちへの「配慮」だ。
もう1つ、一昨年のコンサートで、聡君がお休み中ということで、
コンサートが始まる前にファンがみんなペンラを緑色にしたという。
聡君を励ましたい、聡君の存在を感じたい、という気持ちからだったのだろう。
私はコンサートには行かない人間なのでどうこう言うのもなんだが、
もし私がマリちゃんの誕生日の日にコンサートに行ってたら、
回りにどんなに白い目で見られようとも絶対にオレンジ色にしてたと思う。
そういうところは妥協できないのが私だ^^;
もちろん私だって「みんなで一緒に」が楽しいと感じたり、
それで達成できたことに喜びを感じたりすることはある。
スポーツで母校を応援する時なんて正しくそんな感じだ^^
ただし、子供の部活で保護者会が「お揃いのTシャツ」を着て応援する、
みたいなのはかなり苦手だ^^;
このドラマの「うちらが1番結束力強いよね!」みたいなノリと同じものを感じる。
スポーツで母校を応援すると書いたが、
オリンピックや世界大会の場合はたいていは日本を応援する。
でも好きな選手が海外にいればその選手を応援するようになる。
サッカーでもずっと同じ1つのチームを応援するということはなく、
好きな選手が移籍すればそのチームを応援する。
自分がやるスポーツも団体競技は苦手で個人競技が好き。
香緒里が呟いた「このノリを楽しめたら楽なのに」という言葉、すごくよく分かる。
薔薇のアイコンにしろ何にしろ、楽しんだもの勝ちだよね^^
「箱推し」になれたら、もっと楽しく応援できるんだろうなとも思う。
でも芸能人の好みなんて、人に強制されるようなことではない。
箱推しになれ、他メンバーについてもブログに書け、
なんて強制する人は、それこそ全体主義の横暴だ。
まぁそんな人はあまり見かけないけども?^^;
でも私のようなオンリーファンを快く思ってない人がいることは確かだ。
同じCDを何十枚も買うということもしないし、
それがアイドルを応援する文化だというのなら、私は異端分子だと思う。
学校とか職場とかならば、気の合わない人、大嫌いな人であっても
大人の対応で上手く付き合っていかなければならないことはある。
でも芸能人に対しては好きな形で応援させてくれと思う。
私のことが嫌いならそれで良いから、関わらないで欲しい^^;
別に一匹狼を気取っているわけではないし、私の場合は個人主義というよりも、
好き嫌いが激しい我儘主義と言う方が相応しいかもしれない^^;
でも一応これでも「許容範囲の中で受け入れる」こともしているつもりだ。
全ての人を傷つけない言動なんて無理だ。
その辺のことは、次回の内容にも通じるのでまた後程書くことにしよう。