9月9日 

翌日は夫の沖縄料理店でパフォーマンスのライブが控えていた。
今回は、わたしがピアノ演奏で☆初☆参加することになっていて、夕方からそのリハーサルに出かけることになっていた。昼間は家の近所のてんぷら屋さんでご飯を食べながら二人で打ち合わせ。
体調はご飯も2杯おかわりするほど至って良好。何の問題もなかった。

その後、それぞれ夕方まで用事があったので別れる。


わたしは知り合いの舞台女優さんのワークショップに参加していた。実は夫と知り合ったのもこのワークショップで年に一度開催される舞台がきっかけだったりする。
18時。リハーサルまで時間があったので20人くらいの仲間の方々とちゃんこ鍋をつつきながら、会話を弾ませていた。

そして

突然「ドボ、ドボ、ドボーン」という音と共に生温かいものがズボンの下から大量に流れてきた。

「破水?!」そっと覗くと大量の出血をしていた。

「もしかして、これがちかさとママさんが言っていたおしるしなのかしら・・・?!」

周囲は騒然、というよりも緊迫とした雰囲気が漂っていた。
とにかく直ぐに病院に向かわなくては。
幸い、出産先の病院が車で20分ほどの場所にあったので、仲間が車を出して連れて行ってくれた。
彼にも連絡。すぐに駆けつけるとのこと。
今回の出産に彼は立ち会う予定になっていたからだ。

19:30
病院に到着。診察を受ける。「おしるしが多い人もいるし、早くて翌日の朝方だろう」と先生はおっしゃった。ひとまず病室で様子を見ることになる。
とにかく、体に変調はないし、痛みもない。

そして、一時間後に再度診察を受ける。
「出血が全然止まっていないじゃないか。胎盤剥離(詳しくは*http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2006/01/post_754a.html を参照)の可能性がある。この病気は疑いがある時点で手術をしなくてはいけない」

「先生、ちょっと待ってください・・・」
突然の事態に言葉を失ってしまう。
わたしはどうしても自然に産みたかった。赤ちゃんは産道を通り苦しみ、母親は陣痛を経験して痛みを知る。共に苦難を乗り越えて出産することが本来あるべき形である、のどとわたしなりの観念があったのだ。あくまで手術は「自然」ではない・・・

「今のままだと大量出血によってお母さんの命だけではなくて、胎盤がはがれることによって酸素が行き届かなくなり、赤ちゃんの命までも危険な状態だよ。とにかく手術の準備だけはするからね」

「先生、覚悟はできています。でも今晩まで待ってくだい。」
手術なんかちっとも怖くなかった。その頃、微弱陣痛が起こっており、もしかしたら下から産めるかもしれない、という可能性を信じて止まなかった。

手術の準備の最中、彼がそっとやってきた。書類に彼の名前と判子が押してあった。手術をするには本人の同意がなくてはいけない。その同意書だった。
「俺はサインしたからね。裕子はかける?」

わたしは最後まで書けなかった。

23:00
わたしは分娩室に運ばれた。最初は先生と助産婦さんの2人だけだったのに、先生がもう一人。助産婦さんが3人に増えていた。

「先生、陣痛も少し始まっています。もう少し待ってください!」
「本当はオペの場合は立会いはできないのだけど、今回だけ許可するから観念しなさい」

自然に産んであげられなくて生まれてくる赤ちゃんに申し訳ない、気持ち。彼に対しても申し訳ない気持ち・・・


「裕子、全部となりで聞いていたよ。随分と意思を通していたね。大丈夫。元気な赤ちゃんを産もうね」
オペの格好をした彼がわたしの目に映っていた。

23:45
背中に麻酔の注射が打ち込まれる。
手術開始。