映画『屋根裏のラジャー』の個人的評価&感想メモ

 

個人的満足度︰★★★☆☆

ストーリー︰★★★★☆

娯楽性︰★★★★☆

泣ける度︰★★★☆☆

思春期︰★★★☆☆

オススメ度︰★★★☆☆

 

《あらすじ》彼の名はラジャー。

世界の誰にも、その姿は見えない。

なぜなら、ラジャーは愛をなくした少女の想像の友だち―イマジナリ―。


しかし、イマジナリには運命があった。

人間に忘れられると、消えていく。

失意のラジャーがたどり着いたのは、

かつて人間に忘れさられた想像たちが

身を寄せ合って暮らす「イマジナリの町」だった――。

 

 

スタジオポノックのオリジナルストーリーではなく、イギリスの作家A.F.ハロルドの書いた『The Imaginary』という本が原作らしい。

『ぼくが消えないうちに』という邦題で翻訳された本も有るらしい本

 

さて、イマジナリーフレンドのラジャーが主役の物語。

想像上の友人や動物を作り上げる時というのは、寂しかったり、哀しかったり、孤独な時だと思うのだ。

そして、成長し、孤独でなくなった時にはイマジナリーフレンドともお別れするもの。

どんなにハッピーエンドを期待しても、最初からアマンダとラジャーがお別れすることは決定付けられているのよね。

 

さてさて、想像者から忘れ去られたイマジナリ達が行き着く先は…となるのだが、人間たちの想像力が溢れる図書館で夜な夜な好き勝手に活動しているというのは如何なものかね。

想像者に思い出して欲しいという渇望は有るものの、他人の夢や想像にお邪魔して、極稀に新たなキャラクターとして生まれ変わるというのはイマジナリにとってハッピーな事なのだろうか?

イマジナリが忘れ去られる時は、それは想像者が成長した証でも有るのではないだろうか?

 

アマンダは父を亡くして、母親に甘えたくても甘えられない状況からラジャーを想像したのだろうが、アマンダ以上に不幸で孤独な子たちが居るような演出に、アマンダやラジャーに対してどっぷりと感情移入出来なかったのだよねえー

想像力で何でも出来るのか出来ないのか、よく分からない展開でモヤモヤするところも。

 

面白くない訳ではないけど、観終わって切なくなってしまう作品ではあるショボーン

 

 

@はんぞう