人生折り返しのそれなりの大人の年齢になり、人の家に伺う時には相手に失礼のないように自分に簡単な化粧をする事や清潔感のある服を着る事、もちろんお邪魔になるわけだから相手が負担にならない程度の手土産を持参していくのが私の生きてきた人生で学んだ事である。

 

だがしかし…。

 

だがしかしなのである。

 

私よりもいくつか年齢が上の女性。

 

自分の自宅に私を招いて、しかも初めましての顔合わせ。 

 

ドキドキしながらチャイムを鳴らしてドアが開き私の目に飛び込んできたその姿は…

 

浅黒い色をしたまんまるの顔、スッピンでまゆげも描かれていない、髪も綺麗に整っておらず、浅黒い肌に紺の服に紺のエプロン姿。

 

よく見るとエプロンは汚れている。

 

 

え…?  タヌキ?

 

 

 

人の外見にとやかく言うのは良くないと思うが、人と会う時は相手に対して失礼のない身なりをするものだと学んできた私にはそのタヌキの姿を受け入れるのは難しかった。

 

この人とは価値観が違うみたいだから仲良くなれるかわからないなぁ…。

 

 

だが、またここで心の警告を私は簡単に無視してしまう😭

 

男でも女でもよく知らない相手に無意識に感じるマイナスな部分は本能の部分で感じ取っているのかと思うくらい後になって「やっぱり」と思う事が多い気がする。

 

それは何の情報も感情もないから損得なしに冷静に相手を判断しているからだと思う。

 

 

どんな人なのか良く知らない相手に感じたマイナスな部分は感情に左右されていない冷静な状態で見ている唯一自分が信頼できる意見だ。

 

 

 

一目みて「初めて会うのにこの身なりはないわ…。」と思っていた相手なのに、慣れない土地で1人寂しかった私は久しぶりの旦那以外との会話が楽しく感じるまでに時間がかからなかった。

 

 

 

心の警告がなっていたタヌキのあり得ない身なりにも、【初めて会う相手なのに自宅に招いてくれて、こんな格好で飾り気のない

 

人だ。

 

初めからカッコつけないでありのままを見せてくれて、長い付き合いを考えてくれているからなんだ。なんて素敵な人なんだろう✨】

 

と、まぁ自分に都合よく勝手に考えが一気に変わったんです💦 

 

そう思った理由はいくつかある。

 

まずは閉ざされた自宅という空間で人の目がなく、そこで普通ならそんな事まで話さないような個人的な話を聞かされたり、質問されたりして心の距離を縮めてくるという技を仕掛けられた事。

 

話す言葉に敬語がなく、所謂タメ語で会話される事で、悪く言えば慣れ慣れしく、よく言えば親しみやすい喋り方をしてくる。

 

自分も引っ越してきた時に助けてくれた人がいるから私も誰かを助けたいと、私とタヌキで誰がどの立ち位置なのかモデルになる話題を自らしてくる。このモデルになる話をしながら私は優しい、私は人より優れたこの土地の情報を持っている、こういった隠れた自賛がある。

 

他者の話をしながら実は自賛の話をしている事に気が付く事ができれば、そこで壁を作る事ができる。
そうすれば相手はその壁を乗り越えてこれない。
しかし、自賛の話を聞きながら相手を賛賞するような感情になっていたら心のサイレンです。
相手の作り出している世界に影響を受けているという証拠。
 
 
その時には(タヌキの術にかかっている為)自分ではどういう状況なのかわからなかったけてど、私はこうやって初期の段階でタヌキの自分勝手なマウントの安っぽい術にかかってしまった。