台風19号が近づいているが、今日は何とか持つだろう。
新幹線、京都市営バスに乗り継いで、13時前に待ち合わせ場所に到着。
正門横のカンフォーラで少し遅めの昼食としてカレーを食べる。
学生の乗っている自転車みんな新しい。
少し時間があったので、東福川の下宿していたアパートを訪ねてみる。かなり変わっていて、しっかり確定できなかった。家主さんの名前も思い出せなかった。
40分くらいで待合い場所に戻り、時間待ちに正門脇の案内コーナーで少し時間をつぶす。
ずいぶん沢山のノーベル賞受賞者を出しているんだなあ。
さて、一人以外の全員がそろったので、百万遍テニスコート跡を見て、当時の様子を思い出す。道路に面した東よりの2面はアンツーカーのコートで、今にしてみれば一等地だったんだなあ。西部講堂はまだそのままの建物で残っていた。
また東一条から正門前を通り、吉田神社を経由して、真如堂へ向かう。(写真1)
吉田山から西の方をみると、左大文字が見えた。北に向かって左のようだ。
吉田神社から、黒住教の教祖黒住宗忠を祀る宗忠神社を経て、真如堂に到着。
真如堂は天台宗のお寺である。境内の植物も綺麗だった。お手水にも生花が飾られていた。
(写真2)
その後、疎水へ向かう途中、白川を渡る。底面もコンクリートが敷かれているようだった。
白川砂だろうという人もいたが、どうも自分にはそう見えなかった。
途中、東に、大文字山が見えた。
今回歩いたルートは、右下の図で、白い矢印のコースである。
白川は当然南へ流れるが、疎水は逆に北上している。(写真3)
疎水が北向きに流れるのは、北部への農業用水だった。コイが泳いでいた。
哲学の道として、外国人観光客が多く、土産物、民芸品店などが凄く多くある。
西田幾多郎(寸心)の「人は人、吾はわれ也、とにかくに吾が行く道を、吾は行くなり」という碑があった。(写真4)
懇親会場の白水苑と橋本関雪記念館との間にある大木。
白水苑の玄関のしつらえ、創業90年の趣がある。
一人、懇親会のみ参加の1人を加えて懐かしい話に時間を忘れ、台風のためそれぞれ家路に向かう。
新幹線の自由席は満席で、指定席にすわり30分遅れで無事帰着した。
気分的余裕がなかったので、参加するかどうか迷ったが、行って良かった。久しぶりに命の洗濯ができた気がする。また当時の連中に会って、いくらか気力が戻ったようだ。(写真5)