「先輩、七松先輩。そんなになんで不機嫌なんですか?」
六年長屋の廊下に座って居るのは四年生の平滝夜叉丸。
ある角度から見れば滝夜叉丸が毛玉の化け物に襲われているようにも見える光景だが、毛玉の化け物には胴があり手足もある。
それは毛玉の化け物等ではなく、滝夜叉丸の先輩に当たる六年生の七松小平太なのだ。
滝夜叉丸の腰回りに腕を絡めていた手を解き、仰向けに寝転がる。
それは所謂、膝枕に相当するもので。
小平太の顔は上に向くという事は、表情も露になる。
出てきたのは、あからさまに不機嫌です、といった様に口を尖らせ頬をぷくりと膨らませた顔。
それは幼子が駄々をこねているようで、先輩に抱くには些か場違いな感情が浮かんでくる。
可愛らしさで緩みそうになる頬を慌てて引き締め、殊更優しく問い掛けた。
「七松先輩、何がご不満ですか?」
「…それ」
手入れなどされていないだろう髪を優しく撫でると、それはお気に召した様で、引き締まっていた眉間が緩んだ。
「それ、とは…。何の事ですか?」
また拗ねた表情に戻った小平太に先輩?と優しく、殊更優しく問うた。
此処でご機嫌が底辺に達したら今後の委員会に影響が有る為に滝夜叉丸は慎重に事を進めようとしていた。
以前、小平太のご機嫌が底辺に達した時、滝夜叉丸はともかく、下級生が到底耐えきれない内容をごり押ししてきたのだ。
その時は、見かねた六年生達が救出してくれたのだが。
因みに、小平太は同室の中在家長次に説教されたそうだ。
二の舞は踏みたくないのだが、滝夜叉丸には思い当たる節が無く。
首をかしげるのみだった。
「…滝は私のこと名前で呼ばないよね」
「はい?」
虚を突かれた答だった為にすっとんきょうな声で返事をしてしまい、更にその音が気に食わなかった様でがばりっ、と勢いよく起き、滝夜叉丸に詰め寄る。
「だって!綾部も田村も斎藤も三之助も四郎兵衛も金吾も名前で呼んでる!」
「いや、だって、喜八郎達は同級ですし、三之助達は下級生ですし…」
「私が上級生だから!?」
そうとも言えるし、違うとも言えるような。
滝夜叉丸にとって、七松小平太は七松先輩なのだ。
どうしたものかと思案していると、小平太が穴が開くかと思うほど滝夜叉丸を見詰めていた。
「…私達、恋仲なのに、名前で呼んでくれないの?」
拗ねた、というより置いてきぼりを食らった犬の様な表情で。
そんな表情をした人を無下に出来るわけも無く。
そもそも、名前で呼ぶことが嫌なわけではないが、どうにも馴染んだ音ではない呼び方に違和感を覚えるので、条件付きで提案した。
「では、二人っきりの時のみ名前で呼ばさせて頂きます」
「今!」
「い、今、ですか…?」
確かに現在、周りには人は居らず二人っきりだ。
今!とねだってくる小平太に根負けした滝夜叉丸が恐る恐る音を出した。
「…、こ、小平太、さん…」
あぁ、何故だか恥ずかしい!と顔を覆っているその上から小平太が勢いのまま押し倒した。
滝夜叉丸が頭を打たないように手を挟んだのは流石だとは思えども、背中は強かに打ち付けているので睨まれても仕方無い。
痛みと羞恥で涙目になっている滝夜叉丸にはお構い無しにぎゅうぎゅうと抱き締める。
「滝、滝夜叉丸!」
「はいはい、なんですか」
「好き!」
「私も好きですよ」
なはは、と笑う彼に結局許してしまう滝夜叉丸。
そっと、抱き締めてくる小平太の背に腕を回した。
惚れた弱味、という奴だろうか。
その後、物陰や空き部屋に連れ込まれる滝夜叉丸を度々目撃されたとか。