昨日の空には不思議な雲がいっぱいで
お出かけするたびに
空をずっと見ていたなぁ~

(うまく写真撮れてないけど)
楽しませてもらったのでした

今日は
出かけるときは
青空だったけれど
久々に丸一日
"おじょう"の学校で過ごした後の空は
雲で覆われていた

久々のろう学校

朝から
子どもたちの
就業体験発表を見て
生徒会総会も見学して
学部保護者会
そして
学級懇談
個人懇談

朝10時過ぎから始まり
夕方の5時過ぎまで
盛りだくさんでした

(帰宅する間も無く盛りだくさんは続いたのでした)
"おじょう"が小学3年生までは毎日がこんな生活だったなぁ~

子どもの授業のリズムに合わせて、わたしも一緒に通学

授業が終わってからも
ずっと担任の先生と立ち話で気付けば1時間という日々で
毎日が懇談だったように思う

子どもの成長とともに
中学部→高校部
と徐々に学校との距離も出来てきて
"おじょう"から聞く学校の話し
または
家での気持ちの浮き沈みが
学校の様子の判断材料となってゆく。
保護者会や懇談では
子どものフィルターを通してみる『学校』になるので、それが全てではないことも理解の上で、学校に対する家庭からの『おもい』は伝える。
(いまだに結構うるさい親なのです)
期待はせず
「家庭からのお願い」として
伝わるといいなぁと願いながら
思ってることはすべて伝える。
(やっぱりうるさい親ですなぁ)
「知ってる人」
にとって
「知らない」状態が分からない

「知らない人」
にとっては
自分が何を知らないのかが分からない

だから
高校生になって
そこそこしゃべれると
「知ってるはず」
「分かってるはず」
「しゃべれる」=「聞こえてる」
→「聞こえてる」=「分かってる」
と思われることも多い。
また周りの生徒さんが
発音もきれいにしゃべって受け答えしていると
「みんなが分かってる」
と思われることもあり
何の疑いもなく話しが進んでいきがちになる

たとえ上手にしゃべってても
その話しの中に知らないことばが、わんさかある場合もある。
でも会話はどんどん流れていく

その「ことば」を知っていても
"おじょう"の解釈と発信元の意図と異なる場合もある。
そんなこともある中で
勉強しているわけで…
先生も子どもたちも
大変だなぁ~

かみあわないって
結構なストレスなんだと思うもんね。
そのかみあっていないことにすら気づかない場合もあれば
かみあわないことで衝突する場合もある。
これは学校に限らず
家庭の中でも常に起こってる

ついつい分かってるだろうと思って話を進めてしまうから

「分かってる側」は勝手なもんです

「分かってる」前提に話しを進めちゃうもんね

思いを伝えるって
相手をよく見ていないと
伝わってるのやらどうなのやら
ホントは
分からないんですよね。
相手がよく見えてるときは
「入ってるな」
とか
「はいはい。言ってるけど分かってないな」ってなんとなく分かる

そん風に
相手をよく見て
思いを伝えたり
思いを受け止めるのには
心のゆとりがとっても必要だなぁ
ってすごく感じた1日だったのでした

わたしの好きな方のブログにも
「余白」をつくっていきましょう
ってあったので
まさしく
ゆったり受けられる
余白を開けておきたいなぁと思ったのでした

今日も盛りだくさんだったけれど
じっくり"おじょう"のための時間も持てたし、なんとなく整理もできたので、なんだかうれしいなぁ~

すっかり日付も変わってしまったけれど、また明日も『余白』を広げて
楽しんで行こぉ~

たくさんの方に支えてもらって
今日もありがとうございました


