そして、毒親環境に育った人は、いつまでも過ぎたことをクヨクヨと言っているなど説教じみたことを言われることが多々ある。
そんな心無い言葉を聞くと、すべては自分が至らないせいだと更に自責の念にかられる。
そしてこんな風にクヨクヨと思ってしまう自分は、人として未熟で、もっとしっかりしなければいけないなどと、更に自分を責め続ける。

例えば、就職を機に親元から離れても、親から刃を向けられ心深く傷ついたままでいると、親が生活に介入しない環境に自分の身を置いても、ふと自分に刃を向けてしまっている。
自分の心に常に刃が向けられた状態で生きてきたため、物理的に親から離れても、長年心に染み付いた癖が、刃物を引きつける。
自分を大切にすることを知らないために、常に自信が無く、周囲を神経質に気にする振る舞いが、例えばいじめっ子などの目に止まり、いじめの標的にされたり (社会に出ようといじめっ子は弱い人をめる習性から解放されない) いじめまでは行かないまでも、周囲から大切にされない。
いじめられたり、無視されたり、大切に扱われないと、内心で「やっぱり私は嫌われ者なんだ」と。
確信が強くなる。
この悪循環の毎日が積み重ねられ、毒親育ちの人は幸せを掴みにくい。
K 美さんは、お母さんをひどく恨んでいる。
女手一つで育てられ、幼少期は大切にされた記憶が一切ないと言う。
とにかくお母さんの一挙手一投足が気に入らない。
すべては自分に愛情がないからだという結論に到達する。
一見気丈に見えるが、語気も荒く「私は自分が大嫌い!」と声高らかに断言する。
だから、自分を好きになれないから、自分を好きになってくれる人の存在が欲しいと言う。
そして、一時妻子持ちのパートナーばかりを選んで交際をしていた。
それには理由がある。
自分に自信がないから、対等にお付き合いすることができないというのだ。
相手に正式なパートナーがいれば、自分が対等な舞台に登場することはないので、安心してお付き合いできると。
最初から負け戦を選ぶのだ。
(付け加えると、このように自信のない相手を選んで常習的に不倫をする人の傾向は、いじめっ子そのものである)
ある時こう言ってみた。
「ねえ?K 美さん?そんなに自分のことが大嫌いなのに、その大嫌いな自分を誰かに好いて欲しいなんて、、おかしくない?」
K 美さんは一瞬押し黙った。
それもそうだ、と思ったようだ。
こんなに大嫌いな自分を、誰がどうやって好きになってくれるのだろうと。
誰か、自分を好きでいて欲しい。
誰かに大切にされたい。
誰かに寄りかかっていたい。
一見どこにでもあるラブソングの一節に見えるが、健全な大人として自律したした心が育っていたなら、ここまで自分に関する欲求を抱くだろうか?
恋愛を隠れみのにした共依存は時として破滅的な末路をたどる。
自律した一個の人間として生きるためには、その存在を健全に肯定され、幼少期は生きるための助けを受け、安心して自分の足で立ち上がる力を養う必要があるのだ。
成育期が過去となろうと、心が育っていない現実や、心の傷は過去ではなく現在も存在しているのだから、しっかり向き合って不足を補い、傷を治す必要があるのだ。
ぜひ、背を向けず自分と向き合い、健全な人生を勝ち取って欲しい。