ウォシュレットなるものの存在は知っていたが、
実際に目にするのはそれが初めてであった。
中学3年の秋。
中体連の遠征で、とある民宿に宿泊した時の事である。
僕らの部屋があった2階の広いトイレは、
和式の水洗トイレだったのだが、
1階の狭いトイレは、洋式のウォシュレットだった。
暇を持て余し、散歩の過程でそのトイレを発見した僕は、
友達Aに言った。
「1階のトイレ、ウォシュレットだぞ」
「マジで?」
「うん、見に行こう」
僕はAを連れて、二人で1階のトイレを見に行った。
「な? ウォシュレットだろ?」
「ああ、ほんとだ」
と言いながら、Aはウォシュレットを興味深そうに見つめていた。
「ボタン押してみようか?」
と僕が言うと、
「うん、押してみよう」
とAは、相変わらず興味深そうに見つめていた。
洗浄のボタンを押す。
ノズルがウィーンと音を立てて伸びてくる。
水が噴き出す。
物凄い勢いで、正面に立つAに向かって、水が飛び出す。
この時、僕らは勘違いをしていた。
ウォシュレットの水は、例えるなら噴水のように、
弧を描いて便器の中に落ちてゆくものだと思い込んでいた。
ところが現実は違った。
水は物凄い勢いでAに襲い掛かったのである。
Aはジャージのズボンを少し濡らしたが、
とっさに両手で水を抑え込んで、
便器の中に押し戻している。
その姿があまりにも滑稽で、
僕は大笑いしてしまった。
「と、とめろって!」
「ケタケタケタケタ」
「は、早く、とめろって!」
「ケタケタケタケタ」
もう少しその姿を見ていたかったが、
そろそろ頃合いだと思って、停止ボタンを押した。
Aは、なぜか涙目である。
あまりの面白さに、僕はずっと笑っていた。
それを見た後輩の女子生徒が、
「どうしたんですか?」
と聞いてきたので、思わず全てを話してしまった。
「だからジャージが濡れてたんですね(笑)」
話がどんどん広がり、笑いが伝染してゆく。
やばい。これは謝りに行こう。
事件が起きる前から、
部屋の外をぶらついていたAを探すがどこにもいない。
他の友達に聞くと、
「部屋にいるよ」
と言うので行ってみると、
ひとりゲームボーイでテトリスをやっていた。
普段ひょうきんなAは、
後輩の女子にその醜態が知れたことが気に入らなかったらしく、
怒っていた。
僕はてっきり、ウォシュレット事件を、
面白おかしく話しているのだろうとばかり思っていたので、
意外だった。
そうか、普段はひょうきんでふざけていても、
後輩の女子の前ではかっこつけていたかったんだな。
だからこんなに落ち込んで、ひとり部屋にこもってテトリスを……。
と思ったら、なんだか余計に笑えて来て、
思わず吹き出してしまった。
「何笑ってんだよ」
「いやいや、ごめんごめん」
僕が一生懸命謝り、そしてなだめている最中、
タイミング悪く、廊下から後輩女子が、
ウォシュレット事件を笑いながら話している声が聴こえてきた。
「ほら、噂になってる」
友達は完全に怒っていた。
これ以上は何を言っても無駄だと思ったので、
僕は退散した。
しばらくすると、友達Tがびしょ濡れの格好で現れた。
そのすぐ後ろから、Aがニヤついた顔をして歩いてくる。
「お前、もしかして」
と僕が聞くと、Aは言った。
「お前は甘い。俺はボタンを押してトイレから逃げた」
つまりこういうことだ。
Aは、まだ事件の事を知らなかったTを呼びつけ、
1階のウォシュレット便器の前に立たせた。
Aは、洗浄のボタンを押すとともに、
水に襲われ動揺するTを見届けてから、トイレから逃げた。
停止ボタンを押してくれる人はいない。
Tはびしょ濡れになりながら、なんとか停止ボタンを押した。
自分よりもさらに大きな被害者を出すことで、
またそのトラップを仕掛けたのを自分とすることで、
彼はプライドを取り戻したのである。
1階のトイレを見に行くと、水が散乱していた。
この原因を作り出したのは僕である。
僕とAは、トイレットペーパーで水気を拭き取った。
良い子はくれぐれも真似をしないように。
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