2016/01/24 14:00開演シアターコクーン『元禄港歌~千年の恋の森~』

観劇して参りました。 以下、個人的な感想など。


初日を拝見した際は全体的にちぐはぐな印象で、なんだかモヤモヤしたまま帰宅。

歩き方が違う気がする…。

演技のテンポ?間?が現代的なままの方が…。

とても美しい台詞たちの、ものすごく深い意味まで伝わって来ない…。


公演日程の後半に期待して1/24に二度目の観劇。

上記のモヤモヤが解消されました♪

それぞれの抱える『闇・罪深さ』がくっきりと浮かび上がり、とても考えさせられました。

個人的にはギリシア悲劇とシェイクスピアと近松を足して割った感じのお芝居という印象。


大店の次男、万次郎との恋を諦め、和吉との結婚を選んだ歌春へのお浜の言葉「分別しいや」

お浜は「分別」して信助を長男として育て、糸栄は「分別」して子と別れ…。

分別とは?自身の力ではどうにもならない事を受け入れること?

でも飲み込んでも消化出来ずに闇を生む。罪を生む。


丁稚上がりの入り婿という平兵衛の闇、そして「女子ごとき」との考えが罪を生む。

彼にとっては正妻も不倫相手も所詮「女子ごとき」という存在で。

お浜も糸栄も不条理に耐えるべき存在。

お浜は、(同じ不条理に耐える存在として)糸栄に同士に似た思いや、(子を手放す辛さへの)同情を抱いていたのではないか…。

信助に悲劇が起きた後、お浜が糸栄の手を引き信助の手に引き合わせた場面でそう感じました。


そして一見天真爛漫そうに見える、この二人にも闇と罪は存在して。

今回、万次郎にも闇と罪があるとしっかり匂わせていて非常に良かったです。

突き抜けて明るい歌春に用意されていたのは「恋路の闇と罪」

最期の瞬間に好きな人に触れて思う事は…「生きていたい」。

好きな人と生きたい。和吉の人生を狂わせても。

(この場面で歌春が目を開けたまま言切れたのか見えませんでした。生きていたいと言いながら目を閉じては不自然だから、どうされているか見たかった)


喪失の悲しみの中で、実子との絆を取り戻した喜びは全くなかったのだろうか、糸栄には。

罪深くとも、母ならば抱いてしまう感情だと思うけれど。

そして、初音の「罪深う生まれて…」という台詞は誰の事?

初音のこと?信助のこと?それとも…?人は皆罪深いということ?


本っ当に色々考え過ぎて頭の中がグルグル。

社会的に罪深い存在として迫害されている人々=悲田院法師と念仏信徒たち。

コミュニティの外にいる存在。

彼らの眼の方が澄んでいて、純粋な存在であるという皮肉。

不条理に対して女は耐えようとするのに、男は自ら全てを壊してしまう(和吉のこと)。

やっぱりお芝居は楽し。