雑記ざっき | ゆうきの話

雑記ざっき

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夕飯 カップヤキソバ



屋台とか夜店とか


屋台の絵を少し描いたので、ついでに屋台について少し調べてみた。

やはり主な屋台は食べ物だ。

食べ物以外では、ヨーヨーとかスーパーボールとかお面等が主だ。

ハッカパイプと言うモノを昔買った記憶がある。

よく買ったのは、ソースせんべいとかあんず飴とか。

今は秋なので、冷たいモノは描きにくいので、カキ氷などの氷菓子は来年の夏に描こう。

思い付く限りの夜店・屋台を描くというのもありかも知れないが、そうすると同じキャラクターに食べさせ続けるわけにもいかない気もする。

今月はキャラクターを沢山描こう月間なので、そういう屋台とかよりはキャラクターそのものをより多く描くほうが良いが、もう少しだけ、屋台を見て回ってもらおう。




絵の先

目的は絵の先にある。

絵そのものが目的と言う人はともかく、大抵の場合、その目的は絵の先にある。

私のように天地創造が目的の場合もあれば、コミュニケーションが目的の場合もあれば、言葉に出来ない事を書く為の言語として描く場合もある。

あと、欲しいモノを描いたり。

多くの人は、残念ながら、いずれ絵を描くのやめてしまう。

ただ、それが不幸だとも言えない。

目的があると言う事は、不足があると言う事であり、その状態が幸福だとは言い切れない。

不足が満たされ、描く目的が無くなれば、わざわざ描く必要も無くなる。

でも、大抵の場合、不足が満たされる事は無く、その意味で描く必要が無くなる事はない。

描く意味が無くなったと感じた時は、大抵の場合、不足を満たすことを諦めた時だ。

言い換えれば幸福を追求する事を放棄した時とも言える。

ただし、他の方法で幸福を追求する事が出来るようになった、という幸福なケースもある。

この場合、絵を描く事がその幸福を追求する方法の妨げになるのなら、絵を描く事は辞めても良いと思う。

しかし、描く以外に方法が無いと言う人間は、描かざるを得ない。

絵の先にある何かを求めて。



文章を書くと絵を描く時間が無くなる。

今月はキャラクターを沢山描こう月間なので、文字よりも絵に重心を持っていこう。





ゆうきの話

宇宙人?

宇宙人が人間と同じ形状をしているとは限らない。

人間の想像を絶する形状をしていると考えるのか自然だ。

でも、ある程度、人間に似ていたり、理解可能な形状をしているほうが、描きやすいし物語を成立させやすい。

見る度に形を変える25次元の生命体を描くなんて人間には無理だ。

人間による創造は想像できるものに限定される。

人間は地球外の知的生命体を見た事が無いので、どうしても地球にいる知的生命体を元に宇宙の知的生命体を想像せざるを得ない。

仮に想像を絶する外見を描いたとしても、それを見た人はそれが何をあらわしているのかを理解できない。

それを逆に利用して物語を面白くする事は出来るけど。

生ゴミの寄せ集めみたいなヤツが実は宇宙最高の知性だった、とか。

でも、絵を記号と捉えるならば、その記号は分かりやすいものの方がよい。

宇宙人は頭の大きな、脳みそがたっぷり詰まっていて知能の発達してそうな外見のほうが、やはり分かりやすいし伝わりやすい。



そろそろ絵を描こう。

人間と判別できる絵を。