雑記と呼ばれるもの | ゆうきの話

雑記と呼ばれるもの

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そういえば昨日は雑記を書くのを忘れていた。

と言う訳で、今日は書こう。


雑記と言っても、書く事は絵の事とか、未来の知性が資料とするのみであろうものばかりである事はほぼ確実だけど。




キャラクターを考える目的

キャラクターを考える目的は、物語を作りたいからだ。

物語を作りたいのは、それによって世界を創りたいからだ。

世界を創りたいのは、その世界をこの世界に出現させたいからだ。

何故出現させたいのか、それはそこが私の世界だからだ。

出現させる為には、その為の情報が必要だ。

その情報を作成するのにキャラクターが必要となる。

だから、もっとキャラクターが必要だ。

最低でも、地球と同じ星を創るには100億のキャラクターが必要だ。

人間ばかりでは無く、あらゆる生命を出現させるには、無限のキャラクターが必要になる。

その他にも、あらゆるものを創り出さなくてはならない。

天地創造とはそういうことだ。

人力では不可能なのは明らかなので、モブキャラは自動生成するシステムが必要になる。

物語の主要なキャラクターのみ人力で作成すれば、銀河一つくらいなら何とか創れるだろう。

モブ自動生成システムは、容姿や性格、その他の様々な属性を自動で選んでキャラクターを生成し、その活動などを自動で絵にするシステムで、例えば漫画を描く時なども、「ここにこのキャラクターを」と指定するだけでそのキャラクターが描き込まれる。

その様なシステムを作り出せれば、星のひとつやふたつを生み出す事も出来る。

そのシステムを作るには人工知能が欲しい。

人工知能の完成は22世紀までには何とか可能だと思う。

そうしたら、モブキャラの自動生成システムに組み込んで、無限に人間をはじめ、生き物や物体たちを生み出してもらおう。

今の所、自力でキャラクターを描くしか無いけど。

特殊なシステムを用意せずとも、同じことを実現できる方法がある。

それは、そういうキャラクターを他の人に描いて貰う方法だ。

それは今でも一般的に行われているが、すべての人が実行できる方法では無い。

私は、人工知能の完成を待ちつつ、キャラクターを考えよう。




感想

自分の描いた絵や文章、その他色々なものに、自分自身の感想を書く事には、あまり意味が無い。

「下手糞な絵ですがどうぞ」と言うような、自分自身の感想を書く事には、ほとんどデメリットしか無い。

上手い・ヘタなどと言う感想は、それを見た人がおのおの別個に持つものであり、それを作者が操作する事は出来ない。

あらかじめ作者自身が「ヘタである」と書く事によって、いわゆるハードルを下げる効果は多少あるかも知れないが、その効果も限定的だ。

デメリットとしては、「下手糞と認識しているのなら直せよ」と心の中で突っ込みを入れさせてしまい、作品の評価を余計に下げしまう事だ。

描いたものに納得がいかないのであれば、具体的に「髪の毛の質感が思い通りいかなかった」「構図が難しすぎて描ききれなかった」と、具体的に書いたほうが、よほど意味がある。

改善するための参考になるし、それを読んだ人がアドバイスをしやすくもなる。

そして、「目が上手く描けた」「食べ物が美味しそうに描けた」と、よく描けたと思える点を具体的に書いても良いと思う。

作者自身が、どんなにゴミだと思った絵でも、それがゴミかどうかを判断するのは見る人だ。

そして、何かを描いたのならばとにかく人の目に晒したほうがよい。

なぜなら、他者に認識されないモノは存在しないも同然だからだ。

絵を描くには理由がある筈だ。

そして、恐らくその理由の一つに、他者の認知を得る、と言うものがある筈だ。

さもなくば、自身の心の中の妄想を、外部に出力する意味などほとんど無いからだ。

自分が見るためだけに描く、と言う場合もあるが、それは例外的だ。

少なくとも、ブログを使って絵を晒そうと言う考えを持っている人ならば、他者に見てもらいたいと言う望みがある筈だ。


描く人間は誰かに見てもらいたいと思って描く

その絵に対する感想は見た人間が持つもので作者にはコントロールできない


以上の点から、描いたモノをとにかく晒し続けた方が良いと言える。

見る人の心をコントロールは出来ないが、自分が描くモノはコントロールできる。

至らない点があれば、次の絵で改善すればよい。

コントロールできない他者の心に一喜一憂する必要は無く、ただひたすらに描けばよい。

そしてその時、自分の絵が下手糞だと感じたら、その心の声に従って改善すべき点を探り出して、次の絵に反映させればよい。

さあ、今日も絵を描こう。