雑記を
やっぱり雑記は読むためのものじゃない、書くためのものだ。
書くことで、その目的を大体達成している。
頭の中の感情や記憶を、外部に保存する手段が雑記だ。
だから、保存が完了した段階で、その目的の大部分を達成している。
読んでもらいたいと言う記事ももちろんあるけど、それは恐らく叶わない。
なぜなら、読む人にとって有用では無いからだ。
他人の頭の中身は覗いてみたい人もいるかもしれないけど、誰の中でも良いわけでは無い。
でも見ていないと言う事は、だからこそ、自由に書けるとも言えるので、その点は有り難い。
今日も頭の中身を出力していこう。
さて、何を描こう
好きなものを描けばいいじゃん。と、思う。
でも、いいのかなぁ、とも思う。
描くのは簡単だ。
ただ描けば良いのだから。
でも、こんなに好きなものばかり描いていて良いのか、とも思う。
好きな物ばかり食べていると、栄養が偏って身体に良くない、と言う考え方がある。
その考え方、絵に関してはどうなのか、と、つい考えてしまう。
もちろん、食べ物と絵は全然違う。
どうなんだろう。
でも、ここで少し冷静になって考えてみる。
何かを作る人は、果たして、自分が嫌いな物を造ろうとするだろうか。
画家は自分が嫌いな物を描いたりするだろうか。
パン屋は自分が食べたくも無いパンを作ったりするだろうか。
自動車屋は自分が乗りたくも無い車を作ったりするだろうか。
農家は、自分が食べたくも無い野菜を育てたりするだろうか。
そう考えると、好きな物ばかり描いて良いのだろうかと言う疑問に、おのずと答えが出る。
その答えはもちろん「YES」だ。
自分が食べたくも無い料理を作る料理人は料理人になってはないらい。
自分が描きたくも無い絵を描かなくてはならないようなら、絵を描く事などやめてしまえ。
好きな物ばかり生み出す、それがモノを作ると言うことだ。
大好きを生み出す事だけが、創造するという事だ。
私は少し迷っていた。
自分が大好きなものばかり描いているせいで、ちっとも誰にも喜ばれていないんじゃないかと。
こんな、好きなものばかり描いていて良いのだろうかと。
でも、考えてみれば、当たり前の事だと気が付いた。
好きなものを創る、これって全てのモノを作る人が当たり前にしている事で、迷う必要なんて全然無い事なんだって。
私が描くモノは、確かに偏っている。
今流行の絵でも無いし、誰にも必要とされていないかもしれない。
だとしても、好きでも無い絵を無理やり描いて、それで人を喜ばすことなんて、出来るんだろうか。
そんな事出来っこない、自分の好きの形が絵なのに、それを描かずに絵になるものか。
大好きを絵に描いて、それを誰かが好きになってくれれば、これ以上の喜びは無い。
たとえ、誰にも相手にされなくても、大好きでしか創れないんだ、それで創る以外に道は無い。
全てのモノを創る人へ。
貴方の一番大好きなものを創り続けて下さい。
例えそれが、周囲の理解を得られくても、たいして注目を浴びなくても、構いません。
だって、大好きでしか、大好きは生み出せないのですから。
もちろん、この雑記は私しか見ていないのは知っている。
でも、いいんだ。
好きでもないことを無理やり書いてアクセスを得ようだなんて、これっぽっちも考えていないから。
好きなことを書いて、そしてたまたま誰かが見てくれれば、それは何よりの幸せであり幸運だ。
つまり、これを見ている貴方は幸運の女神だ。
女神様ありがとう、幸運に感謝します。
しかしそれにしても、毎度ながらやばい文章だ。
でも、間違った事は書いていないと思うので、まあ、いいか。
書くことで、その目的を大体達成している。
頭の中の感情や記憶を、外部に保存する手段が雑記だ。
だから、保存が完了した段階で、その目的の大部分を達成している。
読んでもらいたいと言う記事ももちろんあるけど、それは恐らく叶わない。
なぜなら、読む人にとって有用では無いからだ。
他人の頭の中身は覗いてみたい人もいるかもしれないけど、誰の中でも良いわけでは無い。
でも見ていないと言う事は、だからこそ、自由に書けるとも言えるので、その点は有り難い。
今日も頭の中身を出力していこう。
さて、何を描こう
好きなものを描けばいいじゃん。と、思う。
でも、いいのかなぁ、とも思う。
描くのは簡単だ。
ただ描けば良いのだから。
でも、こんなに好きなものばかり描いていて良いのか、とも思う。
好きな物ばかり食べていると、栄養が偏って身体に良くない、と言う考え方がある。
その考え方、絵に関してはどうなのか、と、つい考えてしまう。
もちろん、食べ物と絵は全然違う。
どうなんだろう。
でも、ここで少し冷静になって考えてみる。
何かを作る人は、果たして、自分が嫌いな物を造ろうとするだろうか。
画家は自分が嫌いな物を描いたりするだろうか。
パン屋は自分が食べたくも無いパンを作ったりするだろうか。
自動車屋は自分が乗りたくも無い車を作ったりするだろうか。
農家は、自分が食べたくも無い野菜を育てたりするだろうか。
そう考えると、好きな物ばかり描いて良いのだろうかと言う疑問に、おのずと答えが出る。
その答えはもちろん「YES」だ。
自分が食べたくも無い料理を作る料理人は料理人になってはないらい。
自分が描きたくも無い絵を描かなくてはならないようなら、絵を描く事などやめてしまえ。
好きな物ばかり生み出す、それがモノを作ると言うことだ。
大好きを生み出す事だけが、創造するという事だ。
私は少し迷っていた。
自分が大好きなものばかり描いているせいで、ちっとも誰にも喜ばれていないんじゃないかと。
こんな、好きなものばかり描いていて良いのだろうかと。
でも、考えてみれば、当たり前の事だと気が付いた。
好きなものを創る、これって全てのモノを作る人が当たり前にしている事で、迷う必要なんて全然無い事なんだって。
私が描くモノは、確かに偏っている。
今流行の絵でも無いし、誰にも必要とされていないかもしれない。
だとしても、好きでも無い絵を無理やり描いて、それで人を喜ばすことなんて、出来るんだろうか。
そんな事出来っこない、自分の好きの形が絵なのに、それを描かずに絵になるものか。
大好きを絵に描いて、それを誰かが好きになってくれれば、これ以上の喜びは無い。
たとえ、誰にも相手にされなくても、大好きでしか創れないんだ、それで創る以外に道は無い。
全てのモノを創る人へ。
貴方の一番大好きなものを創り続けて下さい。
例えそれが、周囲の理解を得られくても、たいして注目を浴びなくても、構いません。
だって、大好きでしか、大好きは生み出せないのですから。
もちろん、この雑記は私しか見ていないのは知っている。
でも、いいんだ。
好きでもないことを無理やり書いてアクセスを得ようだなんて、これっぽっちも考えていないから。
好きなことを書いて、そしてたまたま誰かが見てくれれば、それは何よりの幸せであり幸運だ。
つまり、これを見ている貴方は幸運の女神だ。
女神様ありがとう、幸運に感謝します。
しかしそれにしても、毎度ながらやばい文章だ。
でも、間違った事は書いていないと思うので、まあ、いいか。