雑記 | ゆうきの話

雑記

胃痛

最近気が付いた。

肉を沢山食べると胃が痛くなる。



BGM : ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 - チャイコフスキー: スラヴ行進曲


もっと描こう


BGM : ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 - チャイコフスキー: くるみ割り人形 - 行進曲

この曲を聞くと、幼稚園を思い出す。




絵を描こう

どんなにゴミクズみたいな絵でも、描かねばならない。

描けば必ず進歩があり、そして、いずれ理想の物が描きあがる日が来る。

それが1000年後ならば、1000年生きれば良い。

その方法は、生きながら考えれば良い。

今は誰の目にも触れない絵や文章、そして私自身。

しかし、あと1万年かかったとしても、進み続ければ、いずれ到達点に辿り着く事ができる。

諦める事には何の意味も無い。

それは以前のブログでも説明した。

諦めない事でのみ、人は人として存在できる。

諦めた時点で、人は人で無くなり、その様な状態になると、人間は存在が消え失せてしまう。

人間ではない、ただの物体になってしまう。

だから、人が人である事と、諦めない事は、同一なのだ。

人間は、諦めると言う選択肢は取り得ないし、そもそもそんな選択肢は存在し得ないのだ。

だから、今日も明日も描く。

それが例えどんなに無価値であろうも構いはしない。

その行為は、諦めない事の証明、人間の証明なのだから。


さて、今日はどんな絵を描こうか。



最近、音にノイズが無い

レコードはもちろん、CDにもノイズはあった。

しかし、mp3等になると、原理的にノイズが発生しない。

もちろん、再生機器が故障していれば別だが。

ノイズは案外悪くない。

私は特に、テレビのホワイトノイズ、砂嵐の音が好きだ。

あれを数時間眺めていた事もある。

でも最近はテレビも砂嵐が見えなくなってしまっている。

その為だけにアナログテレビを取っておいても良いかもしれない。

あれを動画に取って置けば良いのかもしれないが、あれは、極めてランダムなノイズの塊なので、圧縮が利かない・又は圧縮時の劣化がひどい。

砂嵐本来のノイズを忠実に再現するには、無圧縮で保管するのが理想だが、そうすると、1分で数GBとかの大容量になる。

でも、それをループ再生しても繋ぎ目はわからないだろうから、1分くらい撮って置いて、それをループ再生するのも良いかもしれない。

ドーンコーラスという、日の出前、太陽から飛んで来た粒子が大気に衝突して発生する微弱な音があると言う。

以前それをテレビか何かで聞いたことがあるが、あれを自前でキャッチして、朝とそして夕方に、大音量で聞き続けたい。

今PCでは、擬似的にノイズを発生させるように、風や川の自然音と、鈴虫の音と、5.5hzの音と、そして、音楽を重ねて聴いている。

その上に、動画を再生すれば、よりノイズが自然になる。

今は夏なので、扇風機が常に顔に当っており、それも重要なノイズ発生源として貢献している。

毎年、寒くなっても、扇風機の音目当てにギリギリまで消さない事にしている。

あと、この部屋は大通り沿いなので、外の車の音がちょうど良い感じでノイズに貢献している。

もっとノイズを増やしたい。

そして、最終的には、全ての音の成分が含まれた究極のノイズを聞きたい。

それを聞き続けながら、生きていきたい。


静寂は、私にはうるさ過ぎる。


静か過ぎると、周りの人間の声、動き、思考、感情、それらが頭の中に流れ込んでくる感覚に襲われる。

もちろん、それで頭がおかしくなるような事は無いが、少なくとも安らがない。

だから、リラックスしたい時、集中したい時は、音で外部を遮断しなくてはならない。

好きな音楽でも良いが、やはり最強なのがノイズなのだ。

ノイズが欲しい。

生命の維持にノイズは不可欠だ。


ただし、しょこたんの歌は、ノイズにするには美しすぎる。愛おしすぎる。

周りの音は遮断できても、しょこたんの思考や感情が頭の中に流れ込んでくる。

だから、聞く時は、他の音を止めて、その音に集中する。


ノイズ源に適した音楽は、クラシックや洋楽だ。

いわゆるBGMというものだろうか。

これらのノイズとしての適正はほぼ理想的なものだ。

あとは、種類を重ねていけば良い。


今日もノイズに心を包もう。