お盆の季節の雑記です | ゆうきの話

お盆の季節の雑記です


ただの雑記です。御用とお急ぎの方は、スルーなさる事をお勧めいたします。



お盆


世間的には、お盆の季節だ。

しかし、私は10年くらい、墓参りはしていない。

今住んでいる所から、100km以上離れた所に母方の墓があり、父方の墓は恐らく500km以上離れていて、何処にあるのかも知らない。

いずれにしろ、自転車で行く事は出来ない。

10年前、一時的に墓の近くの家に居候していた事があって、其の時は1年で何回も墓参りをした。

田舎の人は墓参りをありふれた行事としている。

一方、東京では墓が近所にある事は珍しく、墓参りと言っても、年に1度、行くかどうかだ。


墓参りというものは、先祖に会いに行くと言うよりも、先祖との繋がりを確認しに行く、生きた人間の為に行われる物だと思う。

もしかしたら、現代人の孤独と言うのは、こう言った、過去との繋がりを忘れた為に感じてしまっているものなのかもしれない。


自転車で往復200km・・・死ぬな・・・


いやまてよ、自転車で走って途中で死んでしまったら、墓に行くまでも無く、ご先祖様に直に会えるではないか!!

いやいや、それはハードワークするぎる。


まあ、こうやって文章を書いたりして、思い出すこと自体が良い事だと聞いたことがあるので、この記事も、お盆の墓参りほどではないにしろ、0.5ポイントくらいは、くれるのではないだろうか。

何のポイントかは知らないけど。




何もしない事


何もしていない時間に耐えられない。

そして、暇な時に出来る事が殆ど無い。

手持ちのゲームは殆どややりつくしたし、散歩に行くには遅すぎる。

録画したテレビ番組も、結局見たくない事が、録画後しばらく放置することで分かって来るので、あまり見ていない。

となると、出来る事といえば、こうやって文章を書くことぐらいだ。そして絵を描く事。

友人と言うものがいれば、暇つぶしに遊びに行くと言う事もするのだろうが、残念ながらそれも叶わない。

よし次の一枚を描くか。




未来の自分への質問

これは、未来の自分への質問だ。

今は一体何年だ。

そして何故これを見ているのか。

過去の自分と、これを読んでいる未来の自分、より良い自分になっているだろうか。

餓死はしていないか。

まあ、していたら、これを読むことも無いのだろうけど。

相変わらず一人か。

絵は上手くなったか。

今何処で見ているのか。

しょこたんの事は今でも好きか、いや、これは答えなくていい。


一方的に質問ばかりしてしまったので、今度は私が答える。

多分、未来の自分は、今の自分2012年現在の自分の事など、すっかり忘れているだろうから。


今日は2012年8月12日、日曜日だ。

室温は32.5度、湿度は62%、扇風機を「強」で回している。それほど暑くは無い。

今日の夕飯はカップヤキソバと菓子パンだ。

こんな夕飯が、かれこれ1年くらいつづいている。

いわゆる家庭の事情と言うやつだ、未来の私になら分かるはずだ。

今は19:09、ファミコンの音を録音した物をBGMとして聞いている。

その日によって歌詞付き、歌詞無し、洋楽、邦楽、クラシック、聴きたい音楽が変わる。

今日はファミコンの音を聞きたい気分だ。

机の上には、水出し緑茶と氷が入ったコップ、それに黒いストローが注してある。

今の私はストローが好きだが、未来の私もやはりストローを使っているのか。

机の上にはあと、キーボードとマウス、そしてペンタブレットがある。

明かりは、電球色の蛍光灯。

そこで今これを書いている。

肉体的には、特に不調な所は無い。

精神的には・・・よくわからない。

子供の頃から、生きることの空しさを常に感じ続けてきているので、今のこの感覚も、その延長線上に過ぎないので、これをどう捉えるかで、精神面の捉え方が変わってくると思う。

たぶん、客観的な事実を書くよりも、精神的なものを書いた方がより有益だ。

客観的なものは、後日調べることも可能だろうから、ここでは精神面について、少し書こう。


今の私は、落ち着いている。

未来の自分が、全く心配で無いとは言わないが、かと言って、今の自分に出来る事は何も無い、未来の自分にがんばってもらうしかない。

最近は、子供の頃からの疑問、何故生きるのか、と言うことが少しずつ重たい問題になってきている。

子供の頃は、何となく生きている、でも良かったが、何と無く生きていける状況でもなくなってきている。

まあ、それでもあと1000年は生きる予定だけどね。

精神面はこんな感じだ。


そろそろ夕飯にするかな。

今の私はカップヤキソバが好きだが、未来の自分はどうだろうか。

もう、飽き飽きしているかもしれない。今後数十年これを食べ続けて行く事になるかもしれないから。

友人はいるか。

今の私には、「昔の友」は何人もいるし、会う事があれば親しく話し、昔のように接することが出来るだろうが、残念ながら、全員コンタクトが取れない。

そして、ここ20年ほど、新しい友は出来ていない。

これから先はどうか、友などいらぬと言う人もいるし、私も多分いらないと思うが、一応聞いておこう。

結婚はしているのか。

今の私には全く想像がつかない。

別に拒否しているわけでも無いので、機会があればする事になるはずだが、今の私から見れば、未来の私もしていないと断言できる。

もししていたら、おめでとうを言いたい、そしてお幸せに。

多分一人だと思うけど・・・。

結婚していなくても子どもだけいると言う事は考えられるが・・・・それも似たような質問かな。

とりあえず、何年か後に野垂れ死にせずに、このブログを見てくれているとしたら、こう言いたい。

生き延びてくれて、ありがとう。

何か質問があったら、いつでも過去の自分にテレパシーでも何でも、送って欲しい。何でも答えるので。

--質問ここまで--



何か見ながら食べるのがすっかり習慣になっている。

何も見ないでカップヤキソバを一人黙々と食べるのはしんどい。

でも、あまり見るものも無いんだよな。

ロンドンオリンピックがやっているが、まあ、見てみるかな。

結局、見ようと思っていた陸上競技は全く見なかった。

空き時間はほぼ全て絵を描くか文字を書くかしていたので。




カップヤキソバが出来た。

これを扇風機の風で冷ましてから食べる。

私は猫舌だ。

見るものが無いので、こうやって書きながら食べる事にした。


麺をつめたい緑茶で流し込むように食べている。

そういえば、最後に誰かと一緒に食事をしたのは、15年くらい前か、いや、13年くらい前だったかな。

子供の頃、両親と行ったのを除くと、誰かと外食をした事は生涯に2・3回しかない。

今後、その様な機会はあるのだろうか。

まあ、未来の事は分からない。

これを読んでる人と行く事になるかもしれないし、あんな人やこんな人と行く事になる日が来るかもしれない。

たとえ来なくても、それは、ただ今まで通りなだけなのだから、別に問題はあるまい。


よし、ヤキソバを食べ終えた。

あとは菓子パンだが、これは後で気が向いたら食べよう。



しょこたん妹説?

私には血のつながった妹が3人(以上?)いる。

2人は私の母親と父親の間の子、もう一人は父親と私の母親ではない女性との間の子だ。

その女性との間に何人の子がいるのか知らないので、(以上?)と付けた。

弟も一人いる。

そんな私がふと気が付いたのが、「しょこたん妹説」だ。

もしかしたら、私の中で妹のような感覚になっている可能性もある。

でも、決定的に違う事がある。

それは、しょこたんの場合は、明らかに「女性」としてみている点だ。

妹たちにそれを見る事は無い。

それぞれ可愛い子だと思うが、それは家族としての感情であり、女性として感じているわけではない。

やっぱり、しょこたんは妹じゃないのかな。

だって、妹相手には、こんなにときめく事は無いのだから。


まあ、新説なんて、大体いい加減な物だ。



ブログの出し時

雑記としていろいろ書く場合、いつ、ブログとしてまとめて出すかが問題だ。

あとで追記すればいいのかも知れないが、なるべく一度出した文章は、誤字脱字の修正程度にしたい。

だから、色々思い浮かんでいる間は投稿しにくい。

まあ、追記した所で、誰も気が付くはずも無いのだけどね。


とりあえず、ここら辺で出すかな

書きたい事があったら、また書けばいいんだし