今感じている事を羅列する記事 | ゆうきの話

今感じている事を羅列する記事

これは、単なる備忘録であり、有用な情報が記されているとは限らないので、よほど読みたい方以外は、お読みにならない事をオススメします。



今日のしょこたん


今日は怒涛のスケジュールだったようだ。(しょこたんぶろぐより)



昨晩深夜1:30に帰宅

その日の午後に歌う歌などを何とか決める

早朝からファッション雑誌撮影

コンサート直前に風邪薬を吐く

その直後にライブで熱唱1時間

大急ぎで別のコンサートを鑑賞する為に走って移動

コンサートが終了する前に抜け出して生放送出演の為にテレビ局へ移動

車が渋滞で動かないので、電車に乗り換えて、走って移動

その後2時間30分の生放送に出演


・・・・


死ぬなよ、しょこたん!!

こりゃあ、不安な気持ちになるのも無理ないな。

しかも今年のしつこい風邪にやられていて、今はすごく頭が痛いらしい。

確かに10周年は節目の年だけど・・・。ただただ、しょこたんの体が心配だ。

人間の体力が分けてあげられたら、いくらでも分けてあげるのだけど・・・。

何だかいつもこちらが一方的に貰っているだけの気がして、申し訳ない気持ちで一杯だ。

私が出来る事といえば、こうやって、多分誰も読んでいないブログに、しょこたんの活躍を書き記すことくらいだ。

こう言う時ほど、自分の無能さが恨めしく思える事は無い。

だから、本当は人を好きになってはダメなんだけど、でも、この感情は、私の持つもっとも強く、そして最後の感情なので、なかなか抑える事は出来ない。


ごめんなさい、そして、ありがとう、しょこたん。



わたしは、いつも誰かが好きだ。

そして、相変わらず無能なので、いつも自分が好きになる喜びを感じているだけで、相手に対し、何ら御礼をする事が出来ない。

だから、好きでいる事は、同時に罪の意識も感じてしまう。

だから、なるべく人を好きにならないように勤めているが、やはりダメだ、好きなものは好きなのだ!!

はやく、大好きな人に、こちらからも何かを与えられるような人間になりたい。


無能な人間の悩みは深いのだ



一人の為に書く

私が何かを書くときは、大抵一人の人に向けて書く。

万人に向けて書く事など、私には到底出来そうも無い。

だから、このブログも、その他色々な事も、他の人が読んで面白いかどうはよく分からない。

でも、そういう個人的な伝達文に、それを読んだ色々な人の心に、少しでも何かを感じて貰える箇所があれば、それで十分だと思う。



しかし、己が何も出来ない無能な人間であると言う事は重々承知した上で、それでも、少しでも前に進みたいと感じるのは、何故だろうか。

多分これが本能と言うやつだろう。

本能に感謝をしなくてはならない。今の所、唯一私を先に進ませる原動力となっているのだから。



絵について

絵はいくら描いても、一向に上達しない。

ここ数ヶ月、大した進歩は無い、いや、数年かな。

絵が下手糞では、その先へは進めない。

もっとも、本当は絵なんて下手糞でも、他の能力があれば、例えば飛びぬけた文才とか、組織を仕切る能力とか、そういったものがあれば、別に絵が上手くなくても構いはしない。

でも、今の所、一番上達に時間がかかると思われるのが絵だ。

そして、一番苦手な物から克服しなくてはならない、飛びぬけた能力の無い者は。

飛びぬけた能力を持っていれば、それが全ての欠点を帳消しに出来る。

でも、それが無い者にとっては、一番のネックは、一番苦手なもの、一番能力の劣るものだ。

それが全ての他のものの足を引っ張る。

だから私は絵を描かなくてはならないのだ。

他の事の足を引っ張らない為に。


文章の能力も、実は全く無いといえる。

だが、絵と比較した場合、文章の方が表現力に限りがあり、絵よりも確率的に見て上達は容易だ。

文章が取りうる形は、文法や、常識など、幾つかのパラメータにより制限される。

しかし、絵は2次元空間に、原理上は無限のパターンを取り得る。

もちろん、絵にも文法はあるが、それにしても、文章よりはその表現は幅広い。

文章では滅多に造語を作らないが、絵は、全てのオリジナルな絵は造語だ。

より難しいことから克服しなくてはならない。


そういえば、絵を描く人間が、これほどまでに多いとは、思っていなかった。

それと同時に、自分と同じ絵を描く人間が居ないことも、何となく分かってきた。

これは、どう捉えたら良いのだろうか。

単純に、私の描くものがいわゆる「流行の絵」ではないだけなのか、それとも、もっと別な理由があるのか。

本当は、答えはわかっている、それは単純に私が「へたくそ」なだけなのだ。

例えば、有名な漫画の絵を模写したとする。

うまい人間の模写はそっくりだったり、または、その人独特の味があったりする。

でも、下手糞な人間は、ただ単に、歪んだコピーでしか無く、そこには何の味も無い。

何を描くにも、既に誰かが描いた事のある絵が頭の中にあって、それを真似して描く以外に殆ど絵を描く方法は無い。

だから、下手糞な複製能力しか持って無い人間は、いつまでたっても、単なる劣化コピーなのだ。

私の描くような絵を、あまり見かけないのは、単純に、私が全ての絵を描く人の中で、もっとも劣っている証拠なのかもしれない。

その客観的理由の一つとして、私は生涯ただの一度も絵を褒められたことが無い。

恐らくこれだけで、十分な証明になるとは思うが、それでもまあ、描き続ける事には変わりは無い。


世界一がいるのならば、世界最低もいるはずだ、そして、多分私はそれだ。




所詮一人


人間はしょせん一人なのだ。


しょこたんの生放送を見る。

見ている時は、とても楽しい。

だが、その時間が終わってしまうと、途端に空しさが襲う。

もちろん、人間が一生一人だと言う事は百も承知だ。

特に、私のような人間が、一人でない時など、これまでの人生で殆ど無かった。

だから、空しさを感じるのは間違っている事である筈だが、何故か空しくなる。

なぜだろう



これは完全にただの、心の備忘録なので、読むに値しないと思う。

唯一、活用方法があるとするならば、それは、自分で自分を振り返る時だ。

いつの日かこれを読んだ私が、何を感じるのだろうか、少し楽しみだ。



ペタの事

アメブロにはペタと言う足跡機能がある。

でもこれ、殆どスパム的なアフィリエイトブログへの誘導目的での使用が主だ。

だけど、土日に付くペタはまともなペタが多い気がする。

でも、このペタの利用方法がよく分からない。

こちらはどう反応すれば良いのか。

意味の無いペタ返しは、果たして意味があるのだろうか。


??、よく分からない文章になったしまったが、つまり、ペタが及ぼす影響が漠然としているので、判断が付かないのだ。

これは、ツイッターで言うところのフォローに当るのか、フェイスブックで言うところの「いいね」に当るのか、それとも違う何かなのか。

ここはもう少し考えてみよう。


あと、これを見て下さっている方で、ペタを付けてくださった方のブログは、一応大体見ている。

タイトルからして、明らかに物売りのみが目的のブログは見ないけど、それ以外のものは、殆ど全てプロフィールなどには目を通す。

そして、時間があれば、数日分のブログには目を通させて頂いている。


でも、ここで何をすべきなのかが難しい所だ。

私の趣味嗜好と明らかに異なるブログへは、やはりペタしにくい。

そして、ペタしたからといって、殆ど何の意味も無い気がしてならない。

私はたまたま、ペタしてくれた人のブログを覗く事があるが、多くの人は、そんな事はしないだろう。

それを、不完全ながら、示唆しているのが、googleのアクセス解析だ。

この解析も不完全である可能性がある事は、前にも書いたが、とにかく何処からもアクセスが無い事は、ほぼ確かなので、やはり、これまでに行ってきたペタに意味があるとは考えにくいのだ。

と言うわけで、ペタについては今日も様子見だ。



今日のアクセス解析

見るに値しない解析だが、一応数値データとし上がっては来るので、見てみることにする。



8/11


google解析  14アクセス

アメーバ解析 不明


アメーバの解析は結果がでるのに時間が掛かる。

だからこの文章を書いている時点ではまだ11日の結果は分からない。


・・?!

あれ、googleの結果がいきなり14に増えてる。

何でだろう。

もしかしたら、昨日投稿した画像の影響なのかもしれない。

それとも、単純に、カウントミスか。

リンク元を見ても、単にサーチエンジンから来たことしか分からない。

まあ、いいや。



超然

超然とは、私の座右の銘だが、つまりは私の目標であり、常に心に留めておくべきと決めている言葉だ。

だから、私は当然超然とはしていない。

していないからこそ、そうありたいのだ。

そして、その超然さが日に日に必要となりつつある。



そういえば・・・

そういえば、私は子供の頃は性別の概念が理解できなかった。

そして、小学生の時に、周囲が「**さんが好きです」等と言う発言をする事の意味が分からなかった。

好きって何だろう、なんで男と女と言うものがあるのだろう、とずっと思っていた。


ちなみに、私が好きになるのは完全に女性のみだ。

その点では、かなり頭の固い人間と言えるかもしれないが、まあ、仕方が無い。

ちなみに、私に関係の無い所でならば、誰が誰を好きになろうと全く問題は無いと考えている。

だが私は、女性にしか惹かれない、不思議といえば不思議だ。

まだまだ不思議な事は多い。