文章とは人だ!!!
文章とは人だ。
私は長年、優れた文章を書けば人々の共感を得る事が出来ると考えていた。
可能な限り、分かりやすく、論理的に書く事で、人々の理解を得、共感を呼び、支持をされる事を願って書いた。
しかし、最近になって、その考え方が、根本的に間違いであるような気がして来た。
私がどんなに理路整然と正論を列挙しても、誰からも支持をされず、共感を得る事も無かった。
もちろん、私の能力不足で文章や論理に欠陥があり、それが不支持の理由の一つでもあろう事は分かっている。
しかし、それだけではどうしても納得が出来ない事が多くなってきていた。
そこで、はたと気が付いた。
「文章は人だ」
そう、私たちは文章そのものを読んでいる訳では無く、その奥に人を見ているのだ。
例えば、私の大好きなしょこたんのブログを読んで欲しい。
確かに独特の文章であるが、あれがもし、しょこたんではない、例えば何処の誰とも知れない一般人が書いているブログだったとしたらどうだろうか。
確かに、猫が一杯出てくるし、文章も面白い、だが、あそこまでの人気が出たであろうか。
否、否である。
そもそもあのブログがしょこたんのものではなかったら、その存在すら知る事は無かっただろう。
つまり、しょこたんブログで見ているのは、文字の羅列そのものでは無く、「しょこたんの書く」文字の羅列なのだ。
だから見るのだ。
つまり、そこにはなんら論理性は無い。
その文章に見ているのは「人」であり、ただの文章ではない。
つまり、どんなにブログを書いてみても、「人」に魅力がなければ、100万文字の文章もただのゴミだ。
ではどうすれば良いのか。
この前書いたこの記事
私の・・・
を御覧いただければ分かるように、願いをかなえるには「好きなものを好きと言う」事が重要である。
好きなものを好きだと言い続ける、これが幸運を・奇跡を招く最高の秘訣であると私はしょこたんから学んだ。
奇跡を信じて好きだと言い続ける。幸運はいつか必ず巡ってくる。
そしてもう一つ重要なのが、「人としての魅力」だ。
私の書く文章に共感を得るには、私自身に魅力が必要だ。
その魅力を高めるにはどうすれば良いのか。
スポーツ・エステ・ファッション。どれも自分を高めるには有効だろう。
しかしそれらで補える点は限られている。
私は綺麗な服を着ているからしょこたんが大好きなわけではない。
スポーツ万能だからでもない。
確かに、ルックスの可愛らしさはとびきりだと思うが、しかしそれだけではない。
具体的にこまごまと列挙するのは控えるが、大雑把に言って、「人間的魅力がある」から大好きなのだ。
その秘訣は何だろうか。
ただのルックスではない、ファッションでもない、人間的魅力こそが最大の秘訣なのだ。
これは学習できるものではない。
学校に通ったりしても学ぶ事は不可能だ。
そこで改めて考えてみる。
どうやら、その感情表現に理由の一つがあるような気がする。
元々極度の人見知りで引っ込み思案だったしょこたんが、芸能界で様々な奇跡に出会い、そして愛される存在となった。
それを考えるに、あの感情表現、少しぎこちないが精一杯の力で爆発させるあの感情表現に、最大の理由が、そして魅力があるのでは無いだろうか。
ひるがえって、私の文章には感情表現があまり無かった。
何故なら、感情は論理的思考の邪魔であり、論理的思考無くして人々の共感を得る事は出来ないと考えていたからだ。
しかし、ここ最近は、それでは誰一人として見向きもしないと言う事に気が付いたのだ。
もちろん、論文やら学術的な文章ならば、感情など不要だ。
しかし、私が書いているのは論文ではない、学術書ではない。
私が書きたいのはそんなものでは無い。心だ。
私の中の心を、魂を、感情を、書き表したいのだ。
論理的思考の結晶を見たければ学術書を読めば良い。
でも違う、私が欲しいのは論文としての評価では無く、人間としての共感であり、愛なのだ!
私は少し間違っていたようだ。
文章の魅力は人間の魅力、人間の魅力は、その人の心にこそある。
心は機械ではない、コンピュータでもない。
心とは絶叫する愛の叫びなのだ!!
私は書きたい、心のある文章を。
論理を超えた、魂の愛の叫びを。
そう、しょこたんのように