がんばれワシ | ゆうきの話

がんばれワシ

おっといけない。
うっかりまたブログを何年も放置するところだった。

ツイッターが勝者のメディア、リア充のメディアである事は確定的明らかな中、そこでのみ発言を繰り返す事の空しさを解消すべく、
このブログをしっかりと書いて行くことを決めたのだ。

ツイッターでは2年強で10000ツイートほどしているが、ただの一度も、ただの一度も、ツイートへの反応が帰って来た事が無い。
薄々は気が付いていたが、ツイッターと言うモノは強者のメディアであり、リア充のメディアなので、私のような完全に無名で無能な弱者がいくらつぶやいたところで、誰の目にも届かない。

ブログの場合、経験上、私が何者であろうとも、ある程度のアクセスが見込める事が分かっている。


見てくださっている皆様には感謝の言葉もありません。本当にありがとうございます。


と言うわけで、ブログをこうやって再開している訳だけど、ここでは少し、最近考えている事を書いてみようと思う。

最近特に思うのが、自分の無力さ、無能さである。
子供の頃は漠然とした「何とかなるさ感」があり、やりたい事の内のどれか一つくらいは実現できるだろうと何の根拠もなく考えていた。
これがいわゆる「全能感」というやつかもしれない。

時と共に、その感覚は誤りである事に気が付く。
例えば、私の場合ならば、子供の頃はいつも一人で絵や物語を描いているか、またはゲームをしていた。
漫画とか絵とか、物語とかを四六時中書いていたのは私の周囲では他にいなかった。
その様子を観察しているうちに、「もしかしたら自分はそういう事が得意なのではないだろうか」と感じるようになった。
もちろんこれは錯覚であり、「好き」と「得意」は関係が無い事は、後になって気が付く事になるのである。
子供の頃は、好きな事を沢山していれば、そしてそれを人よりも沢山していればいずれその道にすすみ、何らかの成功を収めるものだと、漠然と感じていた。
しかしこれは誤りである事は、現状が証明している。

私が毎日描き続けていた絵も、学校を卒業して、ネットの世界を発見するに至り、その書き手のあまりの多さ、そして質の高さに愕然とした。
確かに私の通っていた学校では、私より沢山絵を描き、文章を書いている人間はいなかった。
しかしそれは所詮一つの学校内での事であり、その目を全国に向けてみると、何とおびただしい数の書き手がひしめいているではないか。

それでも、諦めずに描き続けていれば、いずれ何とかなるのではないかと言う、これまた根拠の無い漠然とした自信のようなものが完全になくなる事は無かった。

そこで次に気が付いたのが、「才能」である。
学校で私は授業中も授業を無視して絵を描き続けていた、文章を描き続けていた。
当然生成は最低クラスで、中学に落第があったら、今でも学校に通っていたかもしれない。
それくらい毎日色々と描いていた私より、明らかに絵のうまい連中がいた。
彼らが美術の時間に描く絵は、私のそれを遥かに凌駕しており、そして彼らの描く鉛筆書きの漫画イラストは私がそれまでに描いたどんなキャラクターよりも上手かった。
其の時は、「おお、うまいなぉ」位にしか感じなかったが、今考えると、それこそが「才能」なのである。
私のように気の狂ったように幾ら描いても、そんな物は「才能」の前には何の力も意味も無い。
それに気が付いたのは残念ながら最近の事であり、そんな連中が山のようにひしめく世界に私は足を突っ込んでしまったのだと、改めて感じているのである。

ただ、私は諦めが悪い。おそらく絵やこんな感じの駄文は、一生描き続ける事だろう。
しかし、書くのをやめないと言うことと、それが私の人生にとってプラスに成るという事は別問題だ。
このブログにしても、確か開設したのは2004年かそこらだったと思うが、幾ら書いても、それに対する世間の反応は皆無に近かった。
絵を年間何千枚描いてサイトに発表しても、アクセス数は年間数十アクセス程度である。

確かに絵を描くのは嫌いではない、文章にしても同じだが、しかし、さすがにここまで完全に何の魅力も無いことが世間によって突きつけられると、
自分のしている行為そのものに疑問を感じざるを得なくなる。

よく「一人でも応援してくれる人がいる限りがんばります」と言う台詞を聞く事がある。
私もそれで良いと思うが、では、一人も応援をしてくれる人がいない場合、その行為をする意味が果たしてあるのか、そう感じざるを得ないのである。

そこで今日のブログのタイトル「がんばれワシ」である。

子供の頃の全能感は消え去り、無力でちっぽけな一人の人間が、誰からも愛される事も無く、誰からも求められる事も無く、それでも書かずにはいられないので、
ただひたすらに描き続けけているのだ。
そんな自分を誰も応援してくれないのであれば、せめて自分で自分を応援するくらいしか正気を保つ方法はあるまい。

だから言おう。


「がんばれワシ」