それは存在するのか | ゆうきの話

それは存在するのか


自分で確認できないものは、「確認できた人」に話を聞くしかない。

「確認できた人」がうそつきかもしれないし、いい加減なことを言っているかもしれないが、反論する材料が無ければ信じるか無視するしかない。

分子が存在するかどうかは、分子を見てきた称する「光子さん」や「電子さん」の話を聞くしかない。

「光子さん」や「電子さん」がうそをついているかもしれないが、でもうそだと言う証拠も見当たらない。

そうなると彼らの話を信じるか無視するか、またはうそつきだと言う証拠を突きつけるしかない。

彼らがうそつきかどうかを検証するのが「科学」で、信じることを「信仰」と言う。

(大抵の人は、自分に関係ない場合は無視する。)

分子のようなモヤモヤした目にも見えないようなものが存在するかどうかは「見たと称する人の話を聞く」以外に方法が無い。

われわれ人間の肉体は、その世界に立ち入る能力は無いのだから。


「りんごは存在するか」と言う質問に私は「存在する」と答える。

この答えが正しいかどうかはわからない。「私は存在すると思うよ」と表明しているに過ぎない。

ただ、明らかにりんごは存在すると思われるし手に取ることも食べることもできると「私は思っている」。

その思いを他の人、たとえば「ニュートリノ君」に伝えたとしても、彼らにそれを確かめることはほとんど不可能である。

「ニュートリノ君」は私の言葉を信じるか、無視するか、あるいは何らかの方法でりんごが存在することを確かめようとするだろう。


電子君は原子核にぶつかって跳ね返ってきたと主張しいてる。

電子君本人は実際に何かにぶつかって跳ね返ってきたのだろうから彼にとって原子核は「ぶつかれる何か」であるに違いない。

しかし人間にはまったく感知できない得体の知れない存在である。

電子君がうそつきかどうかを調べてみて、「どうやら嘘は言っていないようだぞ」と思えたら、あとは「話を信じる」しかない。


たとえば、「太陽は本当に存在するか?」と疑問に思ったら

・「自分自身でそれを確かめてみる(五感を使って認識できるか?)」

・「自分自身で確かめられないのならば確かめたと称する人(モノ)の話を聞く」

・「確かめたと称する人(モノ)が嘘を言っているのか調べてみることにする。(科学)」

・「あとは信じるか信じないか」


太陽が存在するかどうか、これは「太陽の存在を確かめた」と称するモノの話を信じられるかどうか、そこにかかっている。

ニュートリノが存在するかどうかは、水分子の中の水素や酸素原子の出したかすかな青白い光を「ニュートリノがぶつかって出た光だ」と信じることができる

かどうかにかかっている。

言い換えるならば、青白い光がニュートリノにぶつかって出たものだと科学的に証明できればニュートリノが存在すると多くの人に認めさせることができる。


神が存在すると思う人にとって神は存在する。

神は存在しないと思っている人にとって神は存在しない。

海が割れるのを見て「神の奇跡だ」と信じる人にとって神は存在する。

海が割れるのを見て「月の重力の影響だ」と信じる人にとってこれは単なる自然現象である。


存在とは、何か「実体」がそこにあるのではなく、何かがそこにあると「信じる」行為に他ならない。


自分に意識があると私は信じている。だから私の意識はある。

私にとって他人は存在するように思われる、だから他人は存在する。

そしてその他人には意識があるように思われる、だから他人には意識がある。


存在とは、何か「実体」がそこにあるのではなく、何かがそこにあると「信じる」行為に他ならない。


よく問われる問い、「誰も見ていない月は存在するのか」、これは簡単である

「誰も見ていなくても、月の存在を信じているモノが一人でもいれば、月は存在する」

なお、ここでいう「モノ」とは人間だけではなく「光子」「電子」「素粒子」そして「宇宙」なども含まれる。


私は幽霊を見たことは無いし、現代科学では存在を証明されていない。

にもかかわらず「見た」と言う人は多い。

見たという人にとってそれは存在するし、存在しないと言う人にとってそれは存在しない。

「存在する」と言う人に反論し、「存在しない」と言うには存在しないと信じさせるしかない。

どう信じさせるかは人それぞれだろうが多くの場合は徒労に終わる。

なぜなら「あの世」のことなので、この世の人間には手に負えない。

つまり「自分の五感で認識できない」のだから「他のモノの話を聞くしかない」。

しかし困ったことにその肝心の「他のモノ」自体が「信じられない」。

だから結局「幽霊は存在する」と言う人に対して「存在しない」と口で言うことは出来も説得して信じさせることは出来ない。

見えると言う人は自分の五感で感じている、つまり「他のモノに聞いた話」ではなく「自分でそう感じて信じている」のである。


「幽霊が見える人間に幽霊が見えないようにする」そうすれば霊が存在するという人に霊が存在しないと信じさせることができる。

「幽霊が見えない人間に幽霊が見えるようにする」そうすれば霊が存在しないという人に霊が存在すると信じさせることができる。

たぶん幽霊の問題に関してこれ以外の解決方法は無い。



存在とは、何か「実体」がそこにあるのではなく、何かがそこにあると「信じる」行為に他ならない。