夢40
そこは、何も無い砂漠だった。
宇宙を旅して数億光年、あるひとつの小さな星にたどり着いた。
宇宙の果てではないが、確かにまだ誰も着たことの無い星、それがこの砂漠の星だった。
この星に植物を植えて、動物を育てて見たいと思った。
この前手に入れたナッツを砂に植えて、空にコショウを撒くと、大きなくしゃみと共に涙のような雨が降り出した。
それが次第に集まって海となり、そこから雲が生まれた。
そのくもがやがて集まり、稲光と共に大粒の雨を降らす。
何日も大雨が続き、ようやく晴れ渡った頃には大地は植物に覆われていた。
そして、空に架かった虹に乗って、幾種類もの動物たちがやってきた。
あるものは海へ、またあるものは森の奥深くへと向った。
それから月日が流れ、すっかり自然豊かな惑星に進化した頃、私はここに一軒の小屋を建てることにした。
それは海の貝殻と、森の落ち葉を混ぜて壁にして、木の柱とヤシの葉の屋根で創った。
窓には砂の中から掘り出した水晶を薄くして磨いてはめ込んだ。
夜になると森の奥から蛍たちが飛んで来て辺りを照らした。
そこで私は300年暮らした。
たぶんそれくらいだ。
そして、ようやくそこから旅を再開したくなった。
なぜならそろそろ人間がここにやってきそうだったからだ。
先日、上空を宇宙船が飛ぶのを見た。
あれは前にも見たことがある、ロケットと飛行機を混ぜたような外見の宇宙船だ。
この星を調査して、そしていずれここに移住してくるだろう。
そうなるとそろそろ私はここを旅立ちたくなるわけだ。
もしかしたら私のような知的生命体が昔の地球にやってきて、そして去っていったのかもしれない。
だとすればこの宇宙は生命に満ち溢れているはずだ。
旅人はいずれそこを離れたくなってくるものだからだ。
そして次の地を求め、見つけてはまた旅立つ、そうして無限の時間の下に無限の宇宙のたびをする。
宇宙船に乗り込む。
久々にエンジンに火を入れるが、何の問題もなく動き出す。
そういえばあの青い鳥はどこにいるのだろうか。
そう思ったが、船の舳先にじっと止まっていた、たぶん数百年。
時計の回転などは意味が無い世界に生きている。
時計の針の回転は、ただの回転運動に過ぎない。
無限に回転しても、その場を動くことも変化することも無い。
昔の人は時間の本質を見抜いていて、回転するだけで決して移動も変化もしない装置を時間を知るものとして創り上げたに違いない。
人間の思考は時間の外にあり、自由に変化できるし、無限の時を同時に知ることが出来る。
空間は不動であり変化しないものだと考えている者もなぜか時間だけはうごめいているかのように感じるらしい。
時間はただひたすらに存在するのみであり、動くことはない。
時の流れとは人間の意識が生み出した主観的な感覚に過ぎない。
時間が何処かから生まれて川のようにどこかに流れ去ってゆくものだと信じているうちは宇宙の謎など到底理解できない。
一粒の水滴が落ちるのは、私が水滴が落ちる前の時間の次に水滴が落ちた時間に移動して見ているからだ。
つまり動いているのは時間ではなく意識のほうなのだ。
意識とはエネルギーであり、空間や時間はそれを伝える媒体に過ぎず、それ自体は動かない。
正確には、空間は物質と言うエネルギーを伝播させる媒体であり、時間とは意識というエネルギーを伝播させる媒体である。
意識が時間に作用して物質を変化させる、だから宇宙がここにある。
だからこそ宇宙の果てには他の世界が広がっている、他の存在の淵に触れることが出来る、そんな気がしてならない。
宇宙船は音もなく今は静な星を離れた。