目的 | ゆうきの話

目的

いくら考えても、それほど人生に重要な目的があるとは思われない。
だからと言って、でたらめに生きてそのせいで辛い思いをするのは脳が嫌う。
しかし、たぶん喜怒哀楽という感情も脳の中の化学反応のひとつでしかなく、ただの幻想、夢と何も変わらない。
夢をよく見るが、朝起きると多くの部分が忘却されてしまう。
夢の中で起きたことは目が覚めると何も残らない。
喜怒哀楽もすべて脳の中で起きる化学反応に過ぎず、一瞬後には跡形もなくなってしまう。
化学反応によって脳細胞が多少変化したりするかもしれないが、その変化も結局は大して意味が無い。
脳が嫌う、と言う理由だけで生き方を自由に変化できる人間になるべきである。
脳に苦を強いる生き方に意味は無い。
だったら、脳に苦を与えない生き方をするべきだ。
一言で言えば、人生は虚しい。
結局何も無いのだから、嫌なことをして生きる事に何の意味も無い。
やりたいことをやってあっという間に息絶えても、それが一体何の問題になるだろうか。
長生きが無条件で最良であると言う幻想は捨て去るべきだ。
最良の環境で長生きをするのが最良なのであり、何でもかんでも長生きすれでそれで良い訳ではない。
結果的に最良の環境下に生活できている人は幸いであり長生きすることは幸せである。
結果的に脳に苦痛ばかりを強いる環境下に生きる人は不幸であり長生きを強制する権利は誰にも無いし強制する意味も無い。
宇宙は気まぐれであり、ほとんどの事がランダムで発生しており、蝶の羽ばたきで竜巻が起きる。
本人の行為とは関係なく物事は動き、結果的に個人間にあらゆる差異が生まれる。
これは、自然の本質であり、努力云々でどうにかなるものばかりではない。
ナンバーワンは一人だけであり、平均以上の人がいれば、平均以下の人が絶対にいる。
全員が幸福に生きることはほとんど不可能である。
なぜなら、人を不幸にすることによって幸福になろうとする人間が一人でもいるからである。
言い代えるならば、隣の人よりも良い暮らしがしたいと考える限り、皆が幸せになることは無い。
自分が幸せになりたいという努力そのものが他人との差を生み、その差が人を不幸にする。
自分さえ良ければよい、と言う考え方をもって生きない限り、幸せにはなれない。
たとえばお金は、沢山持っているほうがいろいろな物が手に入るし、自由度が高まるので、多く持つことは悪いことではない。
しかし、全員が沢山持ってしまうと、金の価値が下がるので、結局みんなが貧乏になってしまう。
一部の人が沢山、たとえば自分だけが沢山持つと、自分は何でも手に入るようになるが、物は無限には無いので結果的にその物を手に入れることが出来ない人

が生まれる。
地球上に10の食べ物があって、金持ちの自分だけで8を買い占めたら、他のすべての人間で残りの2を分けなくてはならない。
他にもありとあらゆる物がこの法則で、不均等に分配される。
これはお金や物質の例だが、そのほかのあらゆることも皆同じで、有限の物、形ある物はすべて偏ってしまう。
モノによって幸せを得たいと考えている限り、必ず不幸になる可能性が存在し、幸不幸を決める最終的な決定打はランダムでカオティックな「運」である。
運は人間には左右できない。
変なブレスレットとかで幸運になれると信じるのは勝手だが、ブレスレットと言う物質に頼っているうちは結局は「運」が支配する。
物質はカオスの支配する宇宙と一体化しているので、本質的に人間の努力のみでは制御しきれない。