【おことわり】
今回、1944年(昭和19年)に橋場線雫石―橋場間が休止と官報で告示され、駅として復活していない橋場駅について、気になったことがあったので書いてみたものです。普段、当ブログではどうでもよいことを月1回程度書いているだけなので、他の記事をわざわざ見ていただいても時間の無駄かと思います。御了承ください。


【橋場駅メモ】
Wikipediaの「橋場駅」について、8月上旬に閲覧したところ次の記述があった。
「・1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、同線大曲 - 盛岡間は東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となるが、同線雫石 - 橋場間の敷地は日本国有鉄道清算事業団へ承継[要出典]」
(なお、今月に入って大幅に書き換わっており、上記記述は削除されている)

「同線雫石 - 橋場間の敷地は日本国有鉄道清算事業団へ承継」の記述に違和感を感じたので、不動産登記上、橋場駅付近の土地所有者がどのように変わっているのか調べてみた。

調査手順 ※法務局の不動産登記関係の証明書はお金を払えば誰でも請求できる
(1)住宅地図で駅付近にある住宅の地番を確認。法務局へ当該地番の地図証明書を請求。
(2)地図証明書には近隣の地番が掲載されており、駅があったと思われる場所(他の地番と比べて面積が広そうであった)の地番の土地について、登記事項証明書を請求。
(3)登記事項証明書では合筆・分筆はあるものの、当該地番は登記のコンピュータ化以前から存在していることを確認。コンピュータ化による閉鎖謄本請求。
(4)閉鎖謄本に「法務大臣の命により移記 昭和62年12月1日」との記載(いわゆる粗悪登記用紙の移記)あり。移記による閉鎖用紙の謄本請求。

結果(日付は登記原因日)


・1921年(大正10年)7月6日 個人から鉄道省へ所有権移転
・1949年(昭和24年)6月1日 日本国有鉄道が承継
・1962年(昭和37年)3月19日 日本国有鉄道から雫石町へ所有権移転
(その後、雫石町から個人へ所有権移転)

〔以下、感想など〕
橋場線の休止区間のうち復活しなかった部分について、全ての不動産登記を調べた訳ではないので断定できないが、既に国鉄から第三者へ所有権移転がされているのではないか?
また、橋場駅をとりあげたブログや動画で出てくる「階段」や、国道から階段へ至る「通路」も含めた一帯については、地図証明書を見た限りであるが、公道や里道水路ではなく私有地であると思われる。