「」歴史・八龍神社


「御神徳

闇龗神 (くらおかみのかみ)

クラは断崖の下の峡谷を指し、オカミは水を司る龍の意と云われる。全国各地には、九頭竜伝説が伝承されているが、この九頭竜こそが闇龗神なのではないかとも云われる。
 水は万物の命の源であり、水の恵みをもたらす龍神として、祈雨・止雨の御利益があるとされることから、開運などの御神徳があると伝わる。」


「創始年代は不詳であるが、大同年間(西暦806~810年)の創建とも伝わる。」

「【祭礼・行事/期日】

 祈年祭 2月中旬
 例祭  4月14,15日
 新嘗祭 11月下旬
 祈年祭・例祭・新嘗祭は、上岡地区のもう1社・十二所神社と同日付に時間をずらして斎行する。
 また5年毎に出社例祭を斎行し、その際は、両社の神輿を御旅所に奉安し祭典を行う。
 尚、同所には皇紀2600年(昭和15年)を奉祝する石碑が建立されている。」


【境内社】

 金刀比羅神社 (ことひらじんじゃ)、稲荷神社 (いなりじんじゃ)、他

【御神紋、社紋】

 左三つ巴

【文化財、ご神木等の特色】

 「八九間 空で雨降る 柳かな」境内の社殿左側・稲荷神社の傍らには、松尾芭蕉が詠んだ俳句の石碑が建立されています。
 松尾芭蕉(寛永21~元禄7年(西暦1644~1694年))は、江戸時代前期の俳諧師で三重県上野市(現在の伊賀市)出身。芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、元禄2年(西暦1689年)3月に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』が特に有名である。
 尚、町内には松尾芭蕉の句碑が二ヶ所有り、一基は金町観音堂、もう一基が当社になります。
 「上岡お祭伝承館」並びに「旧上岡小学校」については、十二所神社の項を参照願います。」

八龍神社 (はちりゅうじんじゃ)

茨城県久慈郡大子町上岡1996






住吉三神

三皇五帝


                                                                      「」歴史・御崎神社


底津少童命(ソコツワダツミノミコト)

中津少童命(ナカツワダツミノミコト)

表津少童命(ウワツワダツミノミコト)」

「二月十八~十九日 御崎祭り 当神社の妹神が、約二十キロ離れた郡の近津宮神社の姉神に年に一度会いに行くという神事。

十八日に本殿祭(春祭)があり、十九日に神霊を御崎柴の霊木に遷して発幸する。神輿は田尻、大泊、外之浦、間泊、竹之浦、古里、坂元の七浦を巡幸し(浜殿下り)、沿道では各集落の人々が、豊作、豊漁、無病息災を祈願する。二十日近津宮神社に到着し、打植祭が行われ、終わった後空を飛び当神社へ帰られる。人々は御崎柴を受けて、船などのお守りにする。」

「本土最南端の佐多岬に鎮座する。

元明天皇の和銅元年三月三日神の神託があり、同年六月神社が創建され、御崎三所権現と称したと伝える。

その後慶長年間の島津氏琉球出兵の際、総大将樺山権左衛門久高が当神社に祈願を込めて渡海、目的を達して帰国の後、琉球国の鎮護として火尾の地より現在地に遷して再建したという。そのため社殿が南面していると伝えられる。久高が琉球より持参し、華表の左右に植えた蘇鉄が年年繁殖し、移し植えることは禁じられ、禁を破った者には祟りがあったという。

以来日本本土最南端の国土守護の神として、薩隅はもとより九州一円にわたり、航海・交通安全、五穀豊穣、商売繁盛の神として崇敬されてきた。」

御崎神社

鹿児島県肝属郡南大隅町佐多馬籠415-ロ



                                                                         「」歴史・住吉神社

源氏物語の住吉信仰

~光源氏と明石の君~

 

住吉明神に祈願し結ばれ、栄華の道を歩む2人。 


ついたちまいり

毎月1日には、 無事に過ぎた一ヶ月を感謝し、新しい月の無事を神様にお祈りします。


名勝 錦が浦

「わがまちあかし十景」

「住吉神社の能舞台

明石藩初代藩主 

小笠原忠政(後の忠真) 

寛永4年(1627年)建立」


「国の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」

(平成18年水産庁選定)

・明石市指定文化財

・2018年11月、大阪万博開催が決定したパリでの総会において、最終プレゼンテーション動画に使用されました。」

住吉神社

兵庫県明石市魚住町中尾1031


     
                                                                    「」歴史・辛國神社

御神徳(ごしんとく)

「○

饒速日命(にぎはやひのみこと)

瓊瓊杵命の御兄。物部氏の祖神

天孫降臨に先き立ち、天祖より天璽(あまつみしるし)の瑞宝(みずのたから)十種をさずかり、大和建国の任務をうけて河内国哮ヶ峰(たけるがみね)に天降りになりました。瑞宝は「若し痛む処あらば、この十宝(とくさのたから)を一二三四五六七八九十(ひふみよいむなやことお)と唱え振れ、此くなさば死人(まかれるひと)も生き反らん」と教え諭されました。 故に古来より病気平癒、「健康の守護神」として呆け除の神として広く信仰されています。

 

○天児屋根命(あめのこやねのみこと)

藤原氏の祖神

天照大御神が天岩屋戸に隠れ給うた時、岩戸の前で美声をあげて祝詞を奏上した神で、後、天孫降臨に随って日向国に降った五部神の一人。その子孫は代々朝廷の祭祀を司りました。 国土安泰、諸産業(農、工、商)繁栄、家内安全や「知恵の神様」として、出世開運、合格祈願をする方も多くおられます。

 

○素盞鳴命(すさのおのみこと)

天照大神の弟神

素盞鳴命は気性の激しい直情径行の御性格のため、御姉君天照大神の勘気をこうむり、高天原から地上に追放されました。そこで命は己の犯した罪を深く反省し、困難に耐えて出雲の国にたどり着き、勇猛心を善用して「八岐の大蛇を退治した。」という神話は、実にわが日本民族の理想を示しています。素盞鳴命が自ら苦難の道を歩み幸福の地を開拓されたという御神徳を仰ぎ、古来より縁結び、厄除け開運の守護神として篤く信仰されています。

 

○品陀別命(ほんだわけのみこと)

応神天皇

第十五代の天皇。治山治水につとめられ、又学問に極めて御熱心であられました。この御代に百済、新羅、中国のいわゆる辛国から文字をはじめ、各種の大陸文化がわが国に伝来しました。母君は神功皇后です。古来より運気向上、子授けや安産の神として篤く信仰されています。

 

○市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

素盞鳴命の子

美人のほまれ高く、弁天さまに見たてられています。天孫降臨に際し「よく養育せよ」との御神勅を奉じて天孫瓊瓊杵命を立派に成育せしめられました。その御神徳により子どもの守護神、美の神と仰がれています。」