三皇と五帝は分かれておりまして、
三皇と申しますのは、邪馬台国=ヤマト王権スタート前の基盤造りの国造神

ヤマト王権スタート前の基盤造りの国造神三皇とされますと、国造統括
京都醍醐寺法流血脈真如苑

一皇
熊野大社
(島根県松江市)
本宮祭神 
(神道こちら経由ご参照以前
氏神 十一面観世音菩薩 [変化])
邪馬台国 古事記   伊邪那美神(イザナミ)
熊野氏改名 卑弥呼母  河内国造河内氏 
(玉や薬草を初めて発見し、火も初めておこした人)

二皇
熊野速玉神社
(和歌山県新宮市)
祭神
氏神 帝釈天(たいしゃくてん)
邪馬台国 古事記 伊邪那岐神(イザナギ)
卑弥呼父親 倭建命 インド釈迦羅竜王
熊野氏改名 和歌山県新宮市出身和田国造和田氏

三皇
古事記 天石門別神(あまのいわとわけのかみ)
高木氏(正次)直系血族子孫    
(卑弥呼が天岩戸から出て来なかったので、下記弟に知恵を出し八咫烏下記弟に考案)
(紀氏・大連 大伴氏・忌部氏の祖)
高皇産霊尊 タカミムスビ高木氏の子の太玉神の子

四皇
氏神 大日不動明王
物部守屋氏 直系血族子孫



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元々、邪馬台国=ヤマト王権は、中国始祖の国造りの理想的なスタイルと言われます 三皇五帝と申します体系をモデルにしております。

他国造

国造
木や衣類原料や盾や玉納入
忌部氏改名後の斎部氏

本貫
麻・木綿
忌部氏改名後の斎部氏
(島根県の出雲)
忌部氏改名後の斎部氏
(香川県)

国造
京都醍醐寺法流血脈真如苑
千氏(茶道)



国造
安雲氏は、実質 ヤマト広域海域 紀氏の右腕のようなご存在で、高品質な海の幸を漁獲してくださる漁獲長を現場にて、広域海域束ね高品質な魚介類漁獲量含めまして、ヤマトの美しい海の幸や食料を育くんでいらした
京都醍醐寺法流血脈真如苑安雲氏


{四皇帝 国造メモ
京都醍醐寺法流血脈真如苑
武蔵武士 後継秩父氏

卑弥呼父親 倭建命 和田氏
[卑弥呼母  河内氏(薬草を発見・火初おこし)
元熊野国造→平安時代他僧勢力治(百済美女姫直系子孫真の創設者創⚪⚪会[真(実態)の宗は日蓮宗])→熊野氏改姓 和田氏、紀氏、河内氏国造となる◇]
卑弥呼弟 里見氏
卑弥呼配偶者 紀氏}

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京都醍醐寺法流血脈真如苑
五帝(ヤマト王)

一帝
邪馬台国 古事記 
市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
多紀理毘売命(たきりひめのみこと)
多岐都比売命(たきつひめのみこと)
(卑弥呼と須佐之男命の子三姉妹)
佐伯 鞍職(さえき の くらもと)直系血族子孫
神紋は「三つ盛り二重亀甲に剣花菱
鹿児島県空海の実家)(o・д・)


二帝
氏神 胝仏母尊(じゅんていぶつもそん)
四天王守護職  伊都国一大卒
神変大菩薩・聖宝理源大師(空海主十大弟子もとで出家)
垣蔭王(祖 安倍氏)
加茂氏後継安倍氏・祖 岸氏

三帝
氏神(笠法稲荷大明神 [地霊系護法善神総帥]
邪馬台国 古事記 月読命(ツクヨミノミコト)
熊野氏改名 卑弥呼弟 里見氏
(農耕 農業を初めて始めた人)
子(里見成義)・子孫(宮本武蔵) 


四帝
氏神 清龍大権現 インド釈迦羅竜王の男子(o・д・)
邪馬台国 古事記 淤加美神・闇龗神(くらおかみのかみ)
邪馬台国 古事記 天手力男神(あめのたぢからお)
鹿島 義幹 (鹿島城築城)先祖(直系血族子孫)
(平高望・大掾氏(だいじょうし)末裔・分家に葛城氏がある。  
闇御津羽神(クラミツハ)卑弥呼の双子の男兄弟)



ご祭神 闇龗神 (くらおかみのかみ)

【御神徳】

 クラは断崖の下の峡谷を指し、オカミは水を司る龍の意と云われる。全国各地には、九頭竜伝説が伝承されているが、この九頭竜こそが闇龗神なのではないかとも云われる。
 水は万物の命の源であり、水の恵みをもたらす龍神として、祈雨・止雨の御利益があるとされることから、開運などの御神徳があると伝わる。

【御由緒】

 創始年代は不詳であるが、大同年間(西暦806~810年)の創建とも伝わる。

【祭礼・行事/期日】

 祈年祭 2月中旬
 例祭  4月14,15日
 新嘗祭 11月下旬
 祈年祭・例祭・新嘗祭は、上岡地区のもう1社・十二所神社と同日付に時間をずらして斎行する。
 また5年毎に出社例祭を斎行し、その際は、両社の神輿を御旅所に奉安し祭典を行う。


 尚、同所には皇紀2600年

(昭和15年)を奉祝する石碑が建立されている。」

【境内社】

 金刀比羅神社 (ことひらじんじゃ)」

【御神紋、社紋】

 左三つ巴      」



建造物や跡地保護優先国宝文化財

になりましたらご祭神お喜びになられるのではと思いました。 <(_ _)>



金刀比羅神社 (ことひらじんじゃ)

香川県仲多度郡琴平町字川西

真言宗象頭山松尾寺の堂宇の一つとして神仏習合金毘羅大権現を祀り、その別当として寺中の金光院が奉斎した。金毘羅大権現は隆盛し、本堂本尊十一面観音を凌駕し、後発の寺中であった金光院が全山を支配することとなる。目にあたる部分に寺院があり山容が象の頭に見えることから、また、釈迦が千人の弟子に説法をしたと云われるインドの伽耶山も象頭山と呼ばれ山容が似ていることから当山は象頭山と呼ばれた。明治初年に神仏分離廃仏毀釈が実施されて、金毘羅権現の奉斎は廃止とし大物主を主祭神とする神社となり、神社本庁包括に属する別表神社宗教法人金刀比羅本教の総本部となった[3]。全国に約600ある金刀比羅神社、琴平神社あるいは金比羅神社の総本宮である[4]

当初はあらゆる分野の人々に信仰されていたが、19世紀中頃以降は特に海上交通の守り神として信仰されており、漁師船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の日本特別掃海隊(朝鮮戦争における海上保安庁の掃海)の殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。」






{徳川幕府後半不要とヤマト最大規模と言われた鹿島城は埋められ今は跡地となっておるそうで、平安時代に茨城県鹿島市鹿島城跡地へこちら経由同様のご方法にて、お寺を建立供養されましたらお喜びになられるのではと思いました。}


五帝
氏神 氏神 清龍大権現 インド釈迦羅竜王第3女(o・д・)
邪馬台国 古事記 闇御津羽神(クラミツハ)
卑弥呼後継 赤星氏
淤加美神・闇龗神(くらおかみのかみ)と共に産まれた卑弥呼は女兄弟
 卑弥呼と須佐之男命の子
(邪馬台国古事記 大山津見 氏神 山の神は、神融泰澄尊師)


「九頭龍伝承(くずりゅうでんしょう)、九頭龍伝説(くずりゅうでんせつ)は、日本各地に残る九頭龍(大神)に関する伝承・伝説のことである。九頭龍大神伝承(くずりゅうおおかみでんしょう)、九頭龍大神伝説(くずりゅうおおかみでんせつ)とも。

白山信仰

編集詳しくは「白山権現」や「白山信仰」を参照。

白山開山の起源は、十一面観音の化身である九頭竜王が泰澄の前に現れたことによる。また、白山権現は、後述の九頭竜出現伝承にもかかわっている。」

「黒龍大神信仰の創始

  • 雄略天皇21年(477年)、男大迹王(継体天皇)が越前国の日野、足羽、黒龍の三大河の治水の大工事を行われ、北国無双の暴れ大河であった黒龍川(後の九頭竜川)の守護と国家鎮護産業興隆を祈願され高龗大神
  • (黒龍大神)、闇龗大神(白龍大神)の御二柱の御霊を高尾郷黒龍村毛谷の杜に創祀された
  • この儀により現代まで連綿と続く九頭竜湖~九頭竜川流域での黒龍大明神信仰が興ったのだとされる。
  • その後、黒龍大神と白龍大神のうちの前者は、天地の初めから国土を守護してきた四方位を象徴する4柱の神々「四大明神」の一柱を祀るものとされた。
  • 東の常陸国には鹿島大明神、南に紀伊国には熊野大権現、西の安芸国には厳島大明神(神宮創建 推古天皇元年{593年})
  • 北の越前国の当地には黒龍大明神として、日本の国家鎮護 及び 黒瀬川(後の九頭竜川)流域の守護神として祭祀されてきた
  • 「第四十三代元明天皇和銅元年(708年)9月20日、高志連村君(こしのむらじ・むらぎみ)が継体天皇の御遺徳を景仰し、高尾郷黒龍村(毛谷の杜)で御霊を合祀。
  • 延暦3年(784年)8月、社殿が火災で焼失し坂上苅田麻呂(さかのうえのかりたまろ、坂上田村麻呂の父)が再建」                          


お釈迦羅様法流血脈京都醍醐寺法流血脈真如苑真如苑の数学定価900円(発行所 真如苑文書伝道部)                                         

歴史等々・Wikipedia-

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