【御神徳】
クラは断崖の下の峡谷を指し、オカミは水を司る龍の意と云われる。全国各地には、九頭竜伝説が伝承されているが、この九頭竜こそが闇龗神なのではないかとも云われる。
水は万物の命の源であり、水の恵みをもたらす龍神として、祈雨・止雨の御利益があるとされることから、開運などの御神徳があると伝わる。
【御由緒】
創始年代は不詳であるが、大同年間(西暦806~810年)の創建とも伝わる。
【祭礼・行事/期日】
祈年祭 2月中旬
例祭 4月14,15日
新嘗祭 11月下旬
祈年祭・例祭・新嘗祭は、上岡地区のもう1社・十二所神社と同日付に時間をずらして斎行する。
また5年毎に出社例祭を斎行し、その際は、両社の神輿を御旅所に奉安し祭典を行う。
尚、同所には皇紀2600年
(昭和15年)を奉祝する石碑が建立されている。」
【境内社】
金刀比羅神社 (ことひらじんじゃ)」
【御神紋、社紋】
左三つ巴 」
建造物や跡地保護優先国宝文化財
になりましたらご祭神お喜びになられるのではと思いました。 <(_ _)>
金刀比羅神社 (ことひらじんじゃ)
「真言宗象頭山松尾寺の堂宇の一つとして神仏習合の金毘羅大権現を祀り、その別当として寺中の金光院が奉斎した。金毘羅大権現は隆盛し、本堂本尊十一面観音を凌駕し、後発の寺中であった金光院が全山を支配することとなる。目にあたる部分に寺院があり山容が象の頭に見えることから、また、釈迦が千人の弟子に説法をしたと云われるインドの伽耶山も象頭山と呼ばれ山容が似ていることから当山は象頭山と呼ばれた。明治初年に神仏分離・廃仏毀釈が実施されて、金毘羅権現の奉斎は廃止とし大物主を主祭神とする神社となり、神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部となった[3]。全国に約600ある金刀比羅神社、琴平神社あるいは金比羅神社の総本宮である[4]。
当初はあらゆる分野の人々に信仰されていたが、19世紀中頃以降は特に海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の日本特別掃海隊(朝鮮戦争における海上保安庁の掃海)の殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。」
「九頭龍伝承(くずりゅうでんしょう)、九頭龍伝説(くずりゅうでんせつ)は、日本各地に残る九頭龍(大神)に関する伝承・伝説のことである。九頭龍大神伝承(くずりゅうおおかみでんしょう)、九頭龍大神伝説(くずりゅうおおかみでんせつ)とも。
白山開山の起源は、十一面観音の化身である九頭竜王が泰澄の前に現れたことによる。また、白山権現は、後述の九頭竜出現伝承にもかかわっている。」
「黒龍大神信仰の創始
- 雄略天皇21年(477年)、男大迹王(継体天皇)が越前国の日野、足羽、黒龍の三大河の治水の大工事を行われ、北国無双の暴れ大河であった黒龍川(後の九頭竜川)の守護と国家鎮護産業興隆を祈願され高龗大神
- (黒龍大神)、闇龗大神(白龍大神)の御二柱の御霊を高尾郷黒龍村毛谷の杜に創祀された
- この儀により現代まで連綿と続く九頭竜湖~九頭竜川流域での黒龍大明神信仰が興ったのだとされる。
- その後、黒龍大神と白龍大神のうちの前者は、天地の初めから国土を守護してきた四方位を象徴する4柱の神々「四大明神」の一柱を祀るものとされた。
- 東の常陸国には鹿島大明神、南に紀伊国には熊野大権現、西の安芸国には厳島大明神(神宮創建 推古天皇元年{593年})
- 北の越前国の当地には黒龍大明神として、日本の国家鎮護 及び 黒瀬川(後の九頭竜川)流域の守護神として祭祀されてきた」
- 「第四十三代元明天皇和銅元年(708年)9月20日、高志連村君(こしのむらじ・むらぎみ)が継体天皇の御遺徳を景仰し、高尾郷黒龍村(毛谷の杜)で御霊を合祀。
- 延暦3年(784年)8月、社殿が火災で焼失し坂上苅田麻呂(さかのうえのかりたまろ、坂上田村麻呂の父)が再建」
お釈迦羅様法流血脈京都醍醐寺法流血脈真如苑真如苑の数学定価900円(発行所 真如苑文書伝道部)
歴史等々・Wikipedia-
お釈迦羅様法流血脈京都醍醐寺法流血脈真如苑真如苑の数学定価900円(発行所 真如苑文書伝道部)
歴史等々・Wikipedia-