「用明天皇の皇子」
「推古天皇の摂政」
「高句麗からの来朝僧 え慈が 師」
「根本大発涅槃経」
『和を以て貴しとなす』
と言う十七条憲法を制定して、
人々の心に平和を呼びかけた人」
『「太子制定の十七条憲法」
「篤く三宝を敬え。
三宝とは、仏法僧なり。
則ち四生(生きとし生けるもの)
の終帰、万国の極宗なり。
それ三宝に帰せずんば何をもってか
まがれるを直さん」
と、仏法に基づく国民の規範が説かれている。
聖徳太子は仏法を生活理念として暮らす理想的国家の実現、すなわち、この世に仏の浄土を建国することを目ざして努力を重ねたものと思われます。」
四生(生きとし生けるもの)
の終帰(帰依所)、万国(全てのお国)
の極宗(宗の極め)なり。
「贈呈趣旨」
「考えたすえに、聖徳太子の像にきめました。太子は僧侶ではありませんが、
日本に仏教を広めた偉大な人であり、同時に『和を以て貴しとなす』という十七条憲法を制定して、人々の心に平和を呼びかけた人であるからです。
平和は真如苑の精神であり、同時に世界中の願望であります。
私は一人ひとりの心に平和のきたることを願って、この像をつくりました」
「」『』
書籍真如苑の数学
発行所
真如苑文書伝道部-
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他
聖徳太子=蘇我馬子
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他
『「聖徳太子」は後世の尊称ないし諡号[2]。また近年は、厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ[3])、厩戸王(うまやとおう[4])など本名は厩戸と言われることも多い』
「法隆寺建立と同時に小野妹子を隋へ派遣」
歴史-
wikipedia-
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感想
始祖と海を渡り同じ帰依所で学ばれていたえ慈は、僧侶の子孫なので御座いましょか。
感動感激され、師になさったお気持ちはわかりますが、
「聖徳太子は法華経迄の三経をえ 慈から深く学」
ばれました。
法華経は釈迦族が全盛期で滅ぼされます所迄を表したもの。
涅槃経は、お釈迦様御入滅お釈迦様最後の結びの経。
根本が大涅槃経と言う事は、
帰依所は当時は、隋で感謝感動あっておられましても、残念ながら途中なので御座います(_ _)
残念ながら、これはー
なかなか道しるべ・師・縁談の面でさらに始祖急死後、
百済経典に仏像に
(三宝一体一点もあってもおりませんですが)に日本書紀のような事が加わり、
密教でした為、高句麗のえ慈が教え正し、教えてくださったので御座いますが、中立性・理解し難い他のヤマト王権とのご関係性・説明了承得ておられましても、孫世代で御座いますし、今のように火災にも強い書類をお入れになられますクマヒラ金庫も御座いませぬ時代。
結果、難しかった中立性・三宝の僧の部分が有り難い事では御座いますが、感謝感動のあまり惜しく、
歴史の一部分も頷けない事も御座いませんが、え慈様にも聖徳太子御子息・物部様にも、心より厚く感謝御礼申し上げたいです(_ _)
併せて上記のとおり等と言えど、心よりお詫び申し上げますm(_ _)m
また、加担させられてしまわれた中大兄貴・命令に従われた方々にも併せてお詫び申し上げたいですm(_ _)m
ちなみに、
「大涅槃経を所依の経典とされておられます所は、京都醍醐寺法流血脈真如苑しかない」
ので御座います。