東漢氏
(やまとのあやうじ)
「『記・紀』の応神天皇の条に渡来したと記されている漢人(半島)系の阿知使主を氏祖とする帰化系氏族集団である。」
「阿智使主の直系の子孫は天武天皇より
「忌寸」の姓を賜り、他の氏族とは姓で区別がなされることとなった。
「掬」の代に東漢直姓を賜った。」
「著名な人物
東漢駒
後裔
坂上忌寸
大蔵朝臣
丹波宿禰
調宿禰
荒田尾直
平田氏
内蔵氏
文氏
文部氏
谷氏
民氏
佐太氏 など」
「系譜
編集
父:坂上犬養
母:不詳
妻:畝火浄永の娘
生母不明の子女
男子:坂上石津麻呂
男子:坂上広人
男子:坂上田村麻呂(758-811)
男子:坂上鷹養(?-817)
男子:坂上真弓 - 直弓とも
男子:坂上鷹主(?-845)
男子:坂上雄弓
女子:坂上又子(?-790) - 桓武天皇宮人
女子:坂上登子 - 藤原内麻呂室」
桓武天皇
「略歴 白壁王
(後の光仁天皇)
の長男(第一皇子)
として天平9年
(737年)に産まれた。生母は百済系渡来人氏族の和氏の出身である高野新笠」
「百済 永継
(くだら の ながつぐ、生没年未詳)
平安時代初期の女性。藤原内麻呂の最初の妻で、後に桓武天皇の後宮で女官となり寵愛を得たが、終生正式の妃の一人には認められなかった。
経歴
父は正五位下の飛鳥部奈止麻呂(安宿奈止麿とも)という、河内国安宿郡(現大阪府羽曳野市)を本拠とする渡来人系の下級貴族であった。安宿郡は光明皇后や安宿王など藤原氏と縁が深いとされている土地であった。
当初、光仁朝にて藤原内麻呂の妻となり、宝亀5年(774年)長男の真夏を、翌宝亀6年(775年)次男の冬嗣を儲けた。冬嗣出産から安世出産までの間に永継が子を儲けた記録がないこと、その間に内麻呂の別の妻が子を産んでいることから、永継が宮中に出仕して桓武天皇に寵愛される以前に内麻呂との婚姻関係は終了していた、とする説がある
(栗原弘)
後に桓武天皇の後宮で女嬬となった。永継を後宮に入れたことについて、同じ百済系渡来氏族で先に後宮に入っていた百済王明信が、一族の娘と同じように「百済姓」を名乗らせて出仕させたとする見方がある。
のちに天皇の寵愛を受け、延暦4年(785年)皇子を儲けた」
「東漢氏は、記紀などの記録から土木建築技術や織物の技術者が居たことをうかがい知れる。東漢氏の一族に東文氏があり、7世紀から8世紀頃には内蔵省・大蔵省などの官人を出している。
また、東漢氏は軍事力にも秀で、蘇我氏の門衛や宮廷の警護などを担当している。
東漢氏は、記紀などの記録から土木建築技術や織物の技術者が居たことをうかがい知れる。東漢氏の一族に東文氏があり、7世紀から8世紀頃には内蔵省・大蔵省などの官人を出している。
また、東漢氏は軍事力にも秀で、蘇我氏の門衛や宮廷の警護などを担当している。
『肥前国風土記』によれば、602年の新羅征討計画の際には兵器の製作を担当した。
崇峻天皇暗殺の際にも東漢氏の東漢駒
(東漢直駒)が暗殺の実行役となっており、
壬申の乱の際には、
奈良時代以降も武人を出し平安時代初期には蝦夷征討で活躍した坂上氏の坂上苅田麻呂・田村麻呂親子が登場する。」
歴史- wikipedia