『日本書紀』で記される登場する系譜は110氏族だが、『古事記』は201氏を数える。
加えて、一祖多氏型の系譜も多いとされる。

また、『日本書紀』で用明天皇の皇后について述べた部分は
「穴穂部間人皇女を立てて皇后とす。
是に生ませる四の男、其一は厩戸皇子と曰ふ」
と記し、その後に厩戸皇子やその親族について記した後に、
「蘇我大臣稲目宿禰の女石寸名を立てて嬪とす。是に田目皇子を生ませり」
と記されているのに対し、
『古事記』では
「稲目宿禰大臣の女意富芸多志比売を娶りて生ませる御子、多米王。
また庶妹間人穴太部王を娶りて生ませる御子、上宮之厩戸豊聡耳命」
となっており、蘇我氏が優先され、上宮王家についての記述が後になっている。
そして、『古事記』には聖徳太子に関する記事が一切見えない」
(聖徳太子は蘇我氏だから)

「7世紀後半から8世紀初頭にかけての
『日本書紀』の編集作業では、聖徳太子を礼賛する思潮が見えるのに対し、同じ時期に成立した『古事記』ではそのような思潮が見られないどころか、
その事績を無視している上に、蘇我馬子が主導した崇峻天皇の暗殺に関する記述も
『古事記』には存在しない。