俺が薫ちゃんの記憶に少し触れたために、彼女がなぜ霊となって
現世にとどまっているのか、その理由を知ることが出来た。
それは、今から数年前、薫ちゃんが交通事故でこの病院に
運ばれてきた所まで遡る。
かなり派手な事故だったらしく、薫ちゃんはなんとか一命は取り留めたものの、
意識が戻らない状態、いわゆる植物状態になってしまったのだ。
それから数ヶ月、寝たきり状態が続いたのだが、
治療の甲斐も虚しく、そのまま息を引き取ってしまった。
薫ちゃんは、家族や友達に、
お別れの挨拶も何もしないまま突然逝ってしまったことが
とても残念に思っていて、こうした現世への強い思いから、
霊体となって存在しているようだ。
『私は、ちょうどその時、家に帰る途中だったの。
どうしても渡したいものがあって』
そう言って、昔を思い出すような瞳にはやはり寂しさが見られ、
正直俺はどう言うべきなのか分からなかった。
「渡したいものって?」
『え、うん…私には双子の妹がいるんだけど、その妹にね、日頃の
感謝を込めてプレゼントを買ったの。妹の好きなアクセサリーをね…
あげたかったなぁって』
薫ちゃんに双子の妹がいることは、記憶を読んだ時に分かっていた。
確か、渚という名前だった気がする。
薫ちゃんの頬に、一筋の涙がこぼれ、俺は見てはいけないものを
見てしまった時の様な居心地の悪さを感じた。
「…俺にいい考えがあるよ」
『え?』
「今からでも遅くない。妹にプレゼントを渡しに行くんだ。
それで、言えなかった感謝の言葉を伝えるんだよ」
俺に授けられたこの不思議な力、それはきっとこの世に必要としてくれている
人がいるということなんだと思う。
そういった人たちの為にこの力を使いたい、それが今の素直な気持ちだった。
『でも…』
明らかに薫ちゃんは戸惑っているようだった。
確かに、今更何年も前に死んだはずの自分が家族に会っていいものなのか、
そして何を伝えるべきなのか、そういった思いがあるのは仕方がないことであるし、
俺も彼女の立場になれば、足踏みをしてしまうかもしれない。
けれど、俺と彼女がこういった形で出会ったことは運命のように思え、
薫ちゃんを助けることこそ、今の使命であるとすら感じていた。
「大丈夫。俺のこの力を使えば、妹さんにも思いは伝えられる」
そう言って俺は、静かに、彼女の瞳に訴えかけた。
十秒間ほど、互いに見つめ合っていたが、やがて彼女が
さっと目を逸らして、ぽつりとつぶやいた。
『…分かったわ。ありがとう』
面と向かって礼を言うのは恥ずかしいのだろう、意図して
ぶっきらぼうに出された声は、夜の廊下に少し暖かさをくれたように思えた。
「はい、お兄ちゃん、これっ!」
そう言いながら、しずかが差し出している包みには、昨日薫ちゃんから聞いた
アクセサリーと同じものが入っている。
俺は一応入院患者という体になっているので、外出するのはさすがに
まずいと思い、しずかに頼んで買って来てもらったのだ。
「ありがとう。さすがしずかだな」
半分お世辞、半分本音の台詞を吐きながら、
しずかの頭をぽんぽんと撫でてやる。
「えへへ。これくらいしずかでもできるもんっ」
「じゃあ、これも頼めるかな?」
「当たり前だよっ。本当にお兄ちゃんはわたしがいないとダメなんだからー」
大好きな兄に褒められて、本当は嬉しいくせに、その嬉しさを表情に出さない
ようにしているけれど結局出来ずに、喜びが顔から溢れている様を見ていると、
我が妹ながら、ちょっとかわいく思えてしまう。
この辺りを天然で出来てしまう所が妹の恐ろしくも、すごい所なのである。
将来、魔性の女になっていそうだが。
その後、適当にしずかをあしらって、部屋から退出させ、薫ちゃんを
病室に呼んだ。
『かわいい妹さんね』
病室に現れるなり、薫ちゃんは微笑みながらそう言った。
彼女は霊として存在しているが、俺(や一部の人々)に見える程度の
姿かたちを長時間具現化するのは困難らしく、普段は誰にも
見えない、いわば姿を消した状態でいることが多いようで、
特に必要性を感じなければ、姿を現すことはないそうだ。
故に、姿が見えないだけで、その場にいることは間違いないので、
こちらの会話や姿などは彼女に筒抜け、というわけである。
「まぁ、自慢の妹だからな。それより、ほら、これで合ってるか?」
しずかが買って来てくれた包みを開け、彼女に内容の確認をしてもらう。
『うん。これに間違いないわ。でも…本当に大丈夫かしら』
まだ、心のどこかで不安を感じていると見え、心配そうな瞳で
俺を見返してくる。
「大丈夫だって。俺を信じろよ」
慣れない紳士顔をするのも、この娘のためを思えば
恥ずかしくなどない、と自分に言い聞かせつつ俺は答えた。
その言葉で、少し不安が取り除かれたのか、はたまた言っても
意味なしと思ったのか、それ以上不安を洩らすことはなかった。
その後、薫ちゃんとしばらく関係のない話をしながら、
頭の隅では、しずかに頼んだ事がうまく行くようにと願っていた。
しずかに頼んだ事が、成功したことを知ったのは、
それから数時間経った後の事であった。
コンコン、というノックの後、病室へと入ってきた人物を見て、
俺はそれを確信した。
不安と困惑、怒り、そういった感情がごちゃ混ぜになった表情で、
俺を見るその人物は、朝霧薫とほぼ同じ顔の作りをしていた。
おそらく歳は同じくらい、薫ちゃんよりも少し大人びた顔をしている
が、彼女の双子の妹である朝霧渚本人であることは疑いようがなかった。
姿は見えないが、この病室にいるであろうと思われる薫ちゃん
の気配が、一瞬ぴりっと引き締まったかのように感じる。
「なんなんですか、この手紙。」
心に湧いた怒りをそのまま相手にぶつけるタイプだろうなと密かに分析する。
薫ちゃんとは違い、どちらかというと直情的な人間だろう。
「何って?その文面通りの意味だよ」
だから、わざと相手の感情を逆撫でするような言い方をしてみる。
「は?意味が分かんないんだけど。それにあなた誰?
姉の知り合いだとも思えないわ」
「友達だよ。つい最近知り合ったばかりだからね、君が知らなくても
無理ないけど。あ、君じゃなくて渚ちゃんかな?」
俺の言葉に、怒りよりも警戒心の方が強くなったと見え、途端に
怯えた表情になる。どうして、わたしの名前を、と言いたかったのかも
しれない。けれど、俺は相手に答える暇を与えず、言葉をつなぐ。
「俺は、訳あって、普通の人にはない特殊な力を持っているんだ。
その力で死んじゃった君のお姉ちゃんと会話が出来るようになってね、
どうしても妹である君に話がしたい、って頼まれて、力添えしてあげること
にしたんだ。ほら、これを見て」
そこまでいっきに喋ると、俺は持っていた包みを開け、渚ちゃんに渡した。
敵か味方か分からない俺から不審な箱を渡されることに、怖がっていたが、
遠くから中身をちらりと見やると、すぐに驚きの表情を浮かべた。
「ど、どうしてこれがここにあるの…!?」
自分が今目にしている光景は、何かの間違いであって欲しい、
そんな切実な願いを望むような声で彼女は、俺と包みを交互に見る。
「これは、薫ちゃんから君への渡せなかったプレゼントだよ。
お姉ちゃんは事故にあった日、これを君に渡すつもりでいたんだ」
「…」
「だから、これを受け取ってあげて欲しい。
それで、お姉ちゃんの話を聞いて――」
俺がそういい終えないうちに、クックックと不気味な笑い声が病室に
広がった。それが目の前の女性から発せられているとは、にわかには
信じられず、気付いた後でもその彼女の様子の変貌ぶりにたじろいだ程だ。
「本当に傑作よね。あーあ、自分の不幸さにつくづく嫌になるわ」
さながら、地面に唾を吐きかけるように、彼女は言い捨て、ぎろりと
こちらを睨んできた。先程の印象からは程遠い、不適な笑みが似合う
その姿に、俺は寒気を覚えた。
「馬鹿な姉がやっと死んでくれて、せいせいしたと思ってたのによ。
いつまで私はあいつの亡霊に取り付かれなきゃならないんだよ」
本当に亡霊としてこの部屋にいるんだ、とは冗談でも言えない空気に
俺は焦りを感じていた。
まずいな。
もしかしたら、思っていた以上にやばい事に首を突っ込んだのかもしれない。
などと感じている間に、どこから取り出したのか、彼女の手には、果物ナイフが
握られていた。
「秘密を知られたからには、あんたにも死んでもらうよ」
覚悟を決めたような表情で、一呼吸つくと、朝霧渚は地を蹴った。