8月7日午前0時51分、父が永眠致しました。
癌による痛みは恐らく殆ど無く、身の置き所が無い様子や呼吸苦などのためモルヒネを点滴投与して4日目、眠るように息を引き取りました。
両親共に田舎が九州、また父はサラリーマンではなかったので、ご会葬下さる方は殆どいらっしゃらないだろう…と思っていたのですが、想像していた以上に大勢の方がご会葬下さり、寂しがり屋だった父がさぞかし喜んだことと思います。
すぐに連絡をくれた親しいお友達にも支えられました。
本当にありがとうございました。
父は過去の心筋梗塞や、アルコール過敏のため使える抗がん剤が少なく、二回目の抗がん剤が合わないと分かった時、胃癌に対しては打つ手が無くなりました。
丁度その頃脳への転移が分かり、放射線の全脳照射をするかどうかの選択の際、全10回の照射をこなせるとは主治医も思えなかったようで強くは勧めておられませんでした。
しかし、父自身は迷うことなく受けると選択。10回目は実に亡くなる一週間前でしたが、見事やり遂げました。
入院していた筑波記念病院では放射線治療は行っていなかったので、近くの筑波大付属病院へ介護タクシーを利用して、車椅子、最後の一回はストレッチャーで通いました。
辛くても苦しくても何かしらの治療を受けるということが、父にとって気持ちの支えになっていたのだと思います。
亡くなってからはてんやわんや。
菩提寺が熊本だったので戒名のことでお寺さんとちょっともめたり、親戚付き合いの少なかった我が家に叔母達が集結、経験したこと無いくらい賑やかになったり、葬儀のことは私に全て任せると母から言われていたので、経験者の彼や親戚の意見も頂戴しながらオドオド進めていったり…。
行き届かない点や手落ちも沢山ありましたが…勉強になりました。
そして今日、母と二人きりだから寂しいというのではなく、父がいないことが寂しいです。
父の素晴らしかった部分を受け継ぐよう努力して、そのことで私の中で父が生き続けてくれればいいなと思っています。
癌による痛みは恐らく殆ど無く、身の置き所が無い様子や呼吸苦などのためモルヒネを点滴投与して4日目、眠るように息を引き取りました。
両親共に田舎が九州、また父はサラリーマンではなかったので、ご会葬下さる方は殆どいらっしゃらないだろう…と思っていたのですが、想像していた以上に大勢の方がご会葬下さり、寂しがり屋だった父がさぞかし喜んだことと思います。
すぐに連絡をくれた親しいお友達にも支えられました。
本当にありがとうございました。
父は過去の心筋梗塞や、アルコール過敏のため使える抗がん剤が少なく、二回目の抗がん剤が合わないと分かった時、胃癌に対しては打つ手が無くなりました。
丁度その頃脳への転移が分かり、放射線の全脳照射をするかどうかの選択の際、全10回の照射をこなせるとは主治医も思えなかったようで強くは勧めておられませんでした。
しかし、父自身は迷うことなく受けると選択。10回目は実に亡くなる一週間前でしたが、見事やり遂げました。
入院していた筑波記念病院では放射線治療は行っていなかったので、近くの筑波大付属病院へ介護タクシーを利用して、車椅子、最後の一回はストレッチャーで通いました。
辛くても苦しくても何かしらの治療を受けるということが、父にとって気持ちの支えになっていたのだと思います。
亡くなってからはてんやわんや。
菩提寺が熊本だったので戒名のことでお寺さんとちょっともめたり、親戚付き合いの少なかった我が家に叔母達が集結、経験したこと無いくらい賑やかになったり、葬儀のことは私に全て任せると母から言われていたので、経験者の彼や親戚の意見も頂戴しながらオドオド進めていったり…。
行き届かない点や手落ちも沢山ありましたが…勉強になりました。
そして今日、母と二人きりだから寂しいというのではなく、父がいないことが寂しいです。
父の素晴らしかった部分を受け継ぐよう努力して、そのことで私の中で父が生き続けてくれればいいなと思っています。