平成最後の日。
また、お正月が来た気分です。
平成はわたしにとって
地下アイドルを爆発させた感じでした。
私の初めてのカフェはcafeAniseseedで
姫宮ほたるとして勤めていたことが
地下アイドルへの始まりでした。
タレントとして
事務所に所属しながらのアルバイトで
写真も顔出しも厳禁だった為、お写真が少ないのが悲しいですが、
お店が終わってしまうことが
なによりも悲しくて
閉店がとても辛かったのを覚えています。
メイド喫茶に出会ったのは
演じることができ、なお
可愛い服が着られると言うところに
惹かれました。
お絵かきオムライス発祥の地と言われていますが
皆でメニューを考えた時、
彼氏にしてあげたいことは何だろう?
って考えてみて、それが私にとって
オムライスに文字や絵を描くことだったのが
メニューになりました。
それから閉店とキャバになるというお話を耳に
新たに、メイドが出来るところがないか
探していたところ
その時応募してるところがあると友人に聞き
教えていただいたのが
秋葉原のドン・キホーテで
あの有名な@ほぉ〜むcafeでした。
メイドカフェが出来ると聞いて
その時には
名前も@飛鳥というものに変わりましたが
やはり顔出しは恐れていました。
(ロゴ考案時に採用された私のロッカーの羽根)
私、本職はタレントでいたかったのです。
メイドはあくまでもアルバイトと考えていました
記念に写真が撮れたら?という発想から
プリクラを設置し、アキバの皆さんは
ゲームが好きなのでは?と思い
ゲームを考案し
お客様を喜ばせるためということで、
ミニステージが出来上がり
メイドはメイドルという名前の
地下アイドルになっていきました。
(メガネの1番右がわたくし。良く進行などでマイクを持たせていただいていました)
タレントとして芽吹かない私は
このメイドというお仕事で、沢山の人と巡り合い
たくさんのカフェをプロデュースしてきました。
この時の出会えた、メイドの皆様、
店長、お客様。
今でもとても
大切に思っております。
2003年から地下に地上波に猛ダッシュ。
メイドに出会い、発案し、構築し続けた。
タレントとしてなんでもやり、作り、挑戦して
きっと、この時の私の気持ちは
誰にも分からないことでしょうが、
わたしにはメイドが本職なのかもと
思わざるを得ませんでした。
ブーム真っ只中に居たのですから。
メイドに関しては
自信満々な私でした。
自信のある人には
運が回ってくることがあります。
徐々に芸能の仕事も増え、CMなども決まった頃
それと同時に地下アイドルとしての露出や変化を
幾度となく求められ
それは大人の欲求ってわからないまま
流されて
流されて
結局のところ、何を残せたのか分かりません。
劇団女神座は私にとって、新しいキャラクターの挑戦になりました。
- 第1回公演『kirakira☆メリーガール』
- 第2回公演『CHOCOLATE PANIC!』
- 第3回公演『アワセルカガミ』
第2回公演で演じたメイド長は
メイドを長くしていたこともあり
これが私のご主人様という漫画の作者である
まっつーご主人様に気に入っていただけて
ほんとに良かったなと思う作品でした。
それから、MONDOtv
体当たり下克上!劇団『アイドル座』に出演させて頂けたのも、私の新しいキャラクターの開花でした。…今でもオンデマンドで観れるそうですよ
そして、1月から7月まで
毎週金曜日の深夜に放送されていた
『アイドル@deep』の天の声の人。
これはとてもハードで、
芸能人フットサルのナレーションをしなくてはいけなかったりと
情報により臨機応変に対応しなくてはならない
とても良い経験が出来た番組でした。
ホラー作品、時代劇には
沢山携わらせて頂きました。
学園舞台のDVDもアクションの稽古をしながら
出演させて頂いたり
情報番組のアシスタントを長く勤めたこともありました。
今でも分からないけど
平成は、頑張りました。沢山たくさん。
私をすれ違った皆さんのことを
私は裏切られても、忘れたくありません。
出会えた皆さんに感謝します。
DVD発売の
ソフマップイベントに来てくださった皆様。
作品を愛してくださっている皆さんに感謝します
一緒に仕事ができた仲間達に感謝します。
歌い踊ったみんなに、感謝します。
そして。
令和では、よりビッグなことができますように…
自分にもう一度、自信をつけて
病を治して。
何かに挑めますように…。
ありがとうございました。
不束者ですが…
これからも
こんな私を見つめていてください。
よろしくお願いします。