自分の兄と妹は東京に住んでいる。東京に住んでいる友達もいる。本人達に言った事はないけれども、本心は、東京から離れて欲しいと思っている。本人達に言わないのは、仕事や生活を考えると、東京を離れる事が簡単な事ではないのを分かっているし、それだけ大きな決断をする理由となる現状が、どれだけ危険か分からないから。でも、離れて欲しいと思うのは、どれだけ安全か分からないから。次から次へと出てくる「実は~」という報道や、発信源によって異なる情報に、現状に対する自分の認識は、「何も分かっていない」。

時間を考える際、自分達の寿命を基準に考えるのは当然だと思う。7年間というのは、人間の寿命のものさしで考えたらそれなりの時間であり、相当な事ができるような気持ちにさせるけれど、この問題が抱える時間軸は、このものさしで測ってよいものなのか。よいのかもしれないし、よくないのかも知れない。何度でも書くけれど、自分は何も分からない。

震災の直後、極限の状況下で日本人がとった行動を世界中が賞賛した。ほんの数日前、タクシーの運転手に、彼がどれだけ感動したかを熱く語られた。日本人であることを誇りに思えよって。時間が経っても、人々の心に刻まれている。

日本人である事を心から誇りに思わせてくれたあの時の、規律を守り互いを思いやる人々の姿。

今回のオリンピック誘致における、相手の感情に訴えつつ、客観的・技術的であるべき部分ではハッタリをかまして(でないのなら、素晴らしいニュース)目的を達成するという姿勢。

この二つを、どうしても自分の中に共存できない。

実際のプレゼンテーションは見ていないけれども、「おもてなし」というのがキーワードだったらしい。安全を100%確証できない場所に、「おもてなし」の文化は存在するのか。

高円宮妃久子さまの、震災支援への感謝を含めたプレゼンテーションは本当に素晴らしかった。でも、心の内はどうだったのだろう、と気になる。

「誰にでもセカンドチャンスが与えられる」とは、総理大臣のプレゼンテーションの一部。そのセカンドチャンスすら考慮されないような結末にならない事を、心から祈っている。