去る初夏から始めたトマト栽培。
数十の種を巻いて、良い発芽をしたものを選んで鉢に植える。
選別に洩れた弱々しい芽たちを捨てる気にはなれなかったが、鉢の数には限りがあったので、こっそりとバルコニーの真下(自分のアパートは二階)の土に植えた。
バルコニーから水がやれるように。
鉢に入れなかった弱々しい芽たちは、無限の土壌を手に入れて、凄まじい勢いで成長をはじめ、鉢に移された選ばれし”良い苗”たちの成長をあっという間に追い抜いた。
素材よりも環境。そんな真理を垣間見た。
素材は劣れど環境に恵まれたトマトたちは沢山の青い実をつけ、自分たちはその色が赤くなるのを毎日楽しみにしていた。
が、ある朝、アパートの管理人達に一つ残らず、無残にも引き抜かれてしまった。
もともと個人が植えるべき場所ではなく、自分の予想を遥かに上回る成長をしてしまい目だってしまっていたため、何も文句は言えなかった。
自分は彼らが引き抜かれる姿を部屋の窓から見つめるしかなかった。
一見理想的だった環境は、安全では無かった。
残されたバルコニーのトマトたち。
限られた土では成長に限界があるものの、しっかりと守られて育ち、今は数個の青い実をつけている。
ただ、氷点下に近づく日もあるミシガンの気候では気温と日射量が足りず、赤くなることはなさそう。
ずっと前からなっている青い実は、色が変わる気配は全く無いが、それでも寒さに耐えてぶら下がっている。
葉にも元気が無くなってきた。植える時期が遅すぎたのだろう。
このまま水を与え続けて、ゆっくりと枯れていく姿を見るのは中々辛い。
もともと食べるつもりで育て始めたし、赤くなったら食べたのだろうけれど、育て始めた時期と与えた環境を誤ったことを、とても申し訳なく思うのである。