四分之三熟卵-tomato san


あなたが今やっていること、余命6ヶ月だと宣言されても、やっぱりこれをやろうと思えることか?

余命が6ヶ月であっても、今の生活を続けるか?


誰かが言いました。


新しい命の誕生(まだ産まれてませんが)と共に感じることは、今存在する命には限りがあるという事。

自分の人生には限りがあるという当然の事実を今までとは違う感覚で捉えるようになりました。

ずっと分かっていたのにも関わらず、やたらと新鮮に感じるわけです。


そんな時にふいと思い出したのが、誰かが言った、冒頭の2行。

そこからずるずると思う事が出てきたので、書いておこうと思ったわけです。

バスケットの話ばかり書いてもなんですし。


まずは、その問いかけに対する自分の答え。

"そんな事言われましても。。。半年で死ぬ気はありません"。


生活態度に限って言えば、割と一般的にいい心構えなのかもしれないけれど、

これを不特定多数の人達に啓蒙的な意図を込めていうのは的外れだと思います。

人生の有限性を以前とは違う感覚で捉えているからか、以前にも増して、的外れ感が満載で響くのです。


今の自分の生活。

幸せだけれど、学生という身分で贅沢らしい贅沢を全然させてあげられないこの生活、残りの人生を続けたいとは思わない。

人生はずっと地続きだけれど、やはり章があって、自分は次の章(最終章ではない)において、これをやろうと思える事を実現する為に今の章を生きている。


だから、冒頭の言葉を投げかけられても、"そんなことを言われましても"となってしまうのです。

今の状態を残りの人生を通して続けたくは無いけれど、今を無くして人生を通して叶えたいことは実現しません。


息子が今の自分の歳になったくらいに、自分に問いかけるとします。



こんな事を書いていたら、高校時代を思い出しました。

自分の高校は俗に言う進学校で、おそらく生徒の95パーセントは大学進学を考えていたと思います。


授業中に居眠りをして気が付いたら違う先生が教壇に立っていたり、ダンクをする夢をみて授業中に机を強打したりという2年半のツケで、スタート地点では随分と遅れをとっていましたが、大学で勉強したいと思う学問が、その2年半の間バスケットに没頭していたからこそハッキリしていたのは幸運でした。

当時も、それは幸運な事で、誰もが自分のようでは無い事はわかっていました。


進学校という事で、教師達も大学受験を前提とした教育をするわけです。特に3年次。

ある教師がこんな事をいいました。

"大学でやりたい事があるから、大学受験をするんだろう。それならば受験勉強は苦痛じゃない。もっとワクワクするものだろう。"と。


Pep talk的な、生徒に発破をかけようとしていたのだと思うのだけれど、自分は"何を言っているんだ、この人は"と思ったものです。

自分が人生で何をしたいのかを悩むのが今の時期なんだろうと。

そして大学に進学できる学力を持っているという理由で、答えを模索しながらも、答えが見つかることを願いながら、辛い思いをしながら机に向かっているのが殆どの生徒なんだろうと。

それを無視して進学率を上げる事に躍起になっている教師を白い目で(寝てません)見つつ、自分は違う教科の勉強をしていました。

違う教科の勉強をしていた事は、今思うと申し訳ない。



本当にしたい事は何か?

それを自問しながらも理不尽な日々を一生懸命に生きている人を自分は尊敬する。

そういう人たちを否定しかねない冒頭の2行の言葉にしろ、あの教師の言葉にしろ、あまり好きではないのです。



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写真のトマト、重力に逆らって成長を続けています。

(製品のパッケージによると地面に向かって育つはず)

重力に従って下に伸びていけば楽だろうに。

そんな状況にしてしまった事を申し訳なく思いながら、そんなエース(トマトの愛称)が大好きなのです。