自分なりの真理というか、哲学というものは低空飛行中に見えてくるものかもしれない。
なかなか思い通りに事が運ばないとき、自分自身に満足がいかないとき、これじゃいかんと分かっていながらも修正方法が見出せないとき。
そういう時に、環境や他人に原因を探すのではなく、痛みは伴うこともあるけれど自分の内側に目を向ける。
誰に強要されて今の自分がいるわけではなく、今までの自分の決断の繰り返しが、今の自分。
「期待することをやめる」というのは、一つの防衛方法だとは思うし、それが自分の人生哲学だった時期もある。
けれど、この心構えは感謝の気持ちを鈍らせるらしい。
最近、ちょこっとそれが顔をだした時があったので気が付いた。
それにすぐ気付いて追っ払えたのが、ちょっとした成長の証かも。
「今あるもの、与えてもらったものに十分に感謝をする」
こっちの方が、よっぽど気持ちがいい。
「優しさ」というのは、自分にとっても相手にとっても主観的なもの。
絶対的な優しさなんて存在しない。したらコワイ。
だからこそ、「自分なりの優しさ」を見失っては自分でなくなってしまう事にふと気づいた。
自分でなくなった自分が、周りに原因を求めるとは何とも傲慢なこと。
宗教心はとても薄い自分ですが、なんとなく「祈る」という行為が自分なりに理解できた気がしたこの数日。
静かな祈りというのは、自分自身に向けているものなのかな、と。
自分はいたって元気です。
楽な環境に身をおいているわけではないので(誰だってそうか)、もちろんアップダウンはありますが。
苦境(って呼ぶほどじゃ全然ないけど)だからこそ気付けることがある。
ちょっとだけ大人になれた気がしました。