藤田嗣治 レオナール・フジタ展 | 京都を遊びつくすブログ

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京都駅の伊勢丹のビルの中にある、

 

美術館「えき」KYOTOに行ってきました。

 

藤田嗣治の企画展が開催されているということで。

 

名前だけは知っており、今までいくつかの美術館の常設展でたまにおみかけするくらいで、

 

彼の作品の特徴を知りませんでした。

 

それで、今回行ってきたのですが、

 

一言で感想を述べるとするならば、

 

文化という外部から得られる多様な情報をいかに吸収し、いかにアウトプットするか、

 

社会的なラベルに対して自分はいかに反応し、それをいかに自分のものとするか

 

にとても苦労なさった方なのかなという印象を受けました。
 

フランスと日本。

 

一般家庭とは少し違う家庭環境。

 

それを強みにするか、劣等感として終わらせるか。

 

彼の、日本人としての画家、という意識をどんな風に可視化させるかの葛藤が

 

いくつもの作品に見受けられました。

 

また、様々な画家の模写を、「○○風に」というサブタイトルにつけていくつも描いてるんですね。

 

「日本人らしさ」という無限の可能性と虚無性の間で揺れ動き、

 

とにかくほかの画家の技術を吸収することで何か形にできないかと模索していたのかなと思いました。

 

「○○風に」と書いてなくても、「あーあの画家っぽい描き方してるなー」という作品も多かったです。

 

藤田さんは猫と女を描くのが好きだったそうですが、

 

その得意としたモデルの女性もさぞかし猫みたいな方だったのではと推測してしまいます。

 

また、再婚したフランス人女性、リュシー・バドゥを、藤田自身は「お雪」と名づけたそうですが、

 

「あなた、モルガンスタンレーの人間になったつもりかよw」と突っ込んでしまいましたが、

 

モルガンお雪とは関係ないもしれないとあとから思いましたねw
 

「夢想と鳩」 1917年の彼の作品、私は一番好きだなぁ。

 

まだ乳白色の肌にたどり着く前の作品。

 

横顔の女性、デフォルメされた指、おぼろな輪郭(彫刻の影のような)、

 

そして鳥の奇抜な構図。

 

お気に入りの作品です。

 

この頃の作品に対して、人々は「ジャポニズム」を感じたそうです。

 

私は、ジャポニズムというよりは、オリエンタリズムの回帰のようなものを完寿いました。

 

エジプトと日本の融合。

 

エジプト壁画は、芸術家にとって何なんでしょうね。

 

クラシックバレエの身体性に引用されたり、

 

鼓童の演出に(きっとあれはエジプト壁画の引用だと思う!)使われたり、

 

何か感じるのでしょうね。

 

「3人の踊り子」 フィーチャリング・マティスの作品、って感じでしたw

 

1917年の作品とはまったく違う作風なので、

 

自分のアイデンティティに縛り付けていた「ジャポニズム」からの解放のようなものを思いました。

 

「聖母子」フィーチャリング・ラファエロ アンド 横山大観、って感じでした。

 

この作品は面白い。

 

「裸婦と猫」 フィーチャリング・マネのオリンピア

 

「ポール・ゴーギャン風に タヒチの女」 フィーチャリング・山田かまち

 

「レンブラント風に 読書する聖人」 フィーチャリング・仙崖義梵

 

神の可視化を、こんな簡素な形で書いてしまってもよいのだろうか?

 

それとも藤田さん自身の神像がこんな簡素なものなのか?


いろいろといいたい放題ですみませんw

 

あと、アリス・プランという女性のいきざまが、アンナ・カリーなのそれとちょっと重なりました。

 

それにしても、藤田さんの女性歴の華々しいこと!!!!

 

私の大好きな某M氏とも負けず劣らずだわ。

 

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