原小の運動会に行ってきました。学校



幼馴染のY子親子と、体育館でお弁当食べたり、

組体操、対抗リレーを見て興奮したり、

疑似父兄体験べーっだ!




こんな怪しい部外者がウロウロできるって、

今時にしては物騒だな。

その内、パス持った人しか入れなくなったり、するのかな・・・。


実は目的はモ1つ。


小1-2年生の頃、担任だった先生が、

またココに赴任されてると、風の噂で聞いたので。



でも結局、分からず終いでした。

Y子やakeちゃんにも情報協力もらって、

それらしき人は一応確認したけど、

なにしろ、顔も思い出せない・・・(*^o^*)あせる



・・・あの頃、

学校では一言も声を発しない、

殻に閉じこもった子だった。


苦痛と恐怖だらけの学校生活。

クラスメイトはみんな、冷たくて意地悪。

(今思えば、酷い被害妄想。)

忘却力が働いて、

ほとんど覚えてないんだけど、

先生とは、

お手紙だったか、ノートにだったか??

交換日記のようなことをしていた。

殻を少しでも破ろうと、

先生が提案してくれたのかもしれない。



病院通いや入院もしたりで、

欠席・早退も多かった。


連絡帳には、

シノブ(母)と先生の、やりとりがびっしり。

超筆不精のシノブにこんなに書かせるなんて、

厄介な子。



そんな子が、登校拒否にもならず、

無事に普通教育を終えたのは、

一重に先生のお陰です。



先生とのお手紙交換を励みに、

たぶんあの頃のUKは、

学校に通い続けたんだと思う。

先生の柔らかい文字、優しい言葉が、

唯一、当時の心浮かれる記憶ラブラブ



現在の自分の粗忽さから、

「行かない」という発想が浮かばなかった、

ということも、十分考えられるんだけど。(*^o^*)ゞ



ハードな2年間を乗り切った後は、

少しずつ殻が破けて、

傷つく局面が減ったわけではないけど、

深刻にならずに跳ねのける、

強い子になっていった。


お陰さまで

5年生で遭った夫くんとは、

イジメっ子というより、ケンカ友だちとして。

やられたらパンチパンチ!

言われただけでもパーンチパンチ!

たまにこちらから売ったりも。べーっだ!

ケンカもしたけど、たくさん一緒に笑って、

一番楽しい思い出も、小学生時代にある。



あの2年間を

どうにか乗り切れたから、

その後のたくさんのGIFTがあって、

今の自分に至るんだと思うと、

忘れたい一方で、

自分の要でもある記憶。

今でも、悪い時を励ます支えでもある星




トイレを借りに入った校舎、

懐かしい、温かい気持ちになれるのは、

嫌な思い出より、

楽しい思い出の方が多いから。



あれから「約」30年。

殻はまだ、カリメロ状態だけど、

ヒトは相変わらず怖いけど、

シェルターではなく、

陽の当たる、雨も降る場所で、

ニンゲンらしく生きています。

友だちも、たくさんではないけど、

愛情をたくさんもらって生きています。



この感謝を、どうやって伝えよう??

どうやって、お返ししよう??



逢うことは叶わなかったので、仕方ない。

年賀状でも、書いてみます。

「誰??」とか、思われるかもしれないけど・・・汗