美人は損だ。



みんなが優しくしてくれるから、

本当に優しい人が見分けなかろう。



と、ずーっと思ってきた。



自分は見る目がある。

自分の厄介さがフルイになって、

いい人しか周りに残らないようになってるんだチョキ

なんて、思っていた。




ところが。



見る目がないのは、自分だった。

自分がこんなだから、

自分に優しい人は、きっといい人。


と思っていたのが間違い。



自分の周りにいい人が多いのも、

伴侶となった人がいい人なのも、

私の見る目のお陰ではなかった。。。



…別に、

直接的なダメージを受けた訳ではないけど、

自分の思い違いがショック。。。

思えばこれが初めてではないし。

今回で3度目位かも。

懲りない自分にもがっかり。




この世の中に、

ヒトって無数にいて、

会社に出入りするヒト達全て、

今日一日すれ違うヒト達も全て、

見晴台に住む900世帯のヒト達も全て、

その一個体づつに「ココロ」を持ってる。

それぞれの感情があり、考えがあり、事情がある。


自分には思いもよらない発想や

感情を持つヒトも、たくさん。



それを考えて時々、

ヒトと関係することの恐怖に圧倒されて、

引きこもりたくなる。
宇宙の果てを考えることと同じ位、怖い。



防御壁を立ててしまえば、楽?

アンテナを張り巡らせれば、安全?


自ら悪意探知機になって、

疑わなくていい人までも疑って、

全てを勘ぐって生きる?



そんなことして生きても、

自分を小さくするだけ、

人生の財産になるものを、捨てるようなこと。



情報操作、トリックを仕掛けるヒトや、

ヒトの裏をかいてやろうとするヒトに、

振り回されたくない。



だから、変わらない。



私は隠さない姿勢を続けるし、

疑わない姿勢を続けたい。

ボケっと呑気を貫きたい。



先手必勝しようとするヒトに、

不戦勝という手を打つのだ。



私はやっぱり、性善説で行きたい。

強い意志を持って、鈍感であり続けようと思う。



そして

腹を探らずに付き合える人が、

一握りはいる、

この幸福に、感謝しよう黄色い花




********************



最近読んでるのは、

サリン事件の被害者である河野さんの著書。


命あるかぎり―松本サリン事件を超えて/河野 義行




「山口母子殺人事件」では、
複雑な心境ながらも被害者遺族に同調して、
判決に安堵していた私には、
衝撃的な境地。

河野さん家の裏でサリンを捲いた車の、

改造に携わった元信者の人(服役済み)に、

庭木の手入れや家の出入りを許している。

食事や、遊びにも誘ったりしている。。。


容疑者として日本中に疑われていた時間、

ヒトのネガティブなココロに、

散々いたぶられながら、

一方で、

絶対的に信じてくれた友人たちの、

温かいココロにも、たくさん触れたのだそうですドキドキ



当時、事件翌日の新聞を広げて、

「この発見者が犯人に決まってるよね!」

と、勝ち誇って言ったのを覚えてる。

愚かな自分を殴りたいパンチ!



…人を憎んだり、恨んだりすることは、

かぎりある自分の人生をつまらないものにしてしまう。

さらに、その行為はとてもエネルギーのいることだ。

それだけのエネルギーを使うのなら、澄子の介護も含め、

もっと別な、より有意義なことに使いたい。…



「生きる」ということの意味、

その矛先を見失ってはいけないのだ



目から鱗 ( ゚ 0Å)。


サウイウヒトニ、ワタシハナリタイ星



実際、

自分が被害者やその遺族になって、

私のココロはどうなってしまうか・・・?

河野さんの境地に達せる自信は、全っ然ない。

仇討復活さえ、望むかもしれないけど。。。手裏剣