自分には何もない。
楽しい日々や、
没頭できる趣味や、
やさしい仲間達や、
人が持っている才能の微塵もない。
唐突に送られてきたメール。
20代女性、
会社ではクレーム担当の部署に勤務し、
いわれなき文句に謝罪し、
月々の生活費を稼ぐ毎日。
仕事と割り切っても、
毎日クレームを聞いて、
それに頭を下げ続けていると、
相当に鬱屈する事は想像に易いかもしれません。
実際に勤務している彼女にしかわからない、
陰鬱なスペースでの、
肩身狭い日々は、
彼女の自尊心を壊し、
徐々に自分への愛情を失いつつありました。
僕はメール相談をしている中、
時折こういった、
人生相談的な内容のものも、
余裕があれば受けるようにしています。
精神状態が危険だなと判断した場合のみですが。
私なんて生きててもしょうがない。
私が死んでも、
残念がる人はいない。
いても、
指名してクレームつけてくる、
暇なオジサンだけ。
そう言う彼女の言葉に、
メールゆえに相槌も打てない僕は、
かける言葉を慎重に選びつつ、
返信していきます。
ある日彼女は、
『谷川さんはいいですよ。
たくさんの人達に必要とされて、
生きる事に自信を持ってる。
そんな人に、
私のように日陰でしか生きてこなかった人間の、
心の中なんてわからないんですよ』
と、
フラストレーションをぶつけてきました。
こういう場合、
本当に僕を怒鳴りつけたくて、
メールしてくるケースは少ない。
彼女のこの言葉は、
本心であるかもしれないけど、
決して僕を責めたくて責めてるわけじゃない。
長年の相談経験がそう伝えてくる。
『僕には全てはわからない。
というより、
誰にもあなたの心の中身はわからない。
わかったところで、
何かが変わりますか?
あなたが本当に欲してるのは、
自分の心の中を理解してもらうことですか?
あなたは変わりたいと願って、
でも、日々流れていってしまい、
変わらない事に苛立ってるんじゃないですか?』
そう返信メールを作成し、
送信ボタンを押すのをためらう。
彼女には厳しい言葉だと思ったし、
事実であれ、
事実を突きつける事だけが、
相談の手法ではないから。
『そうですか。
気に障る事を言ってしまったかもしれないですね。
すみません。
僕はわかってないかもしれないけど、
少しでもわかろうと思います。
だから、
心の中にある事の一部でいいから、
聞かせてください。
全て受け止めますから』
返信メールを書き直し、
送信ボタンを押す。
彼女からの返信はいつも時間が遅い。
言葉を選んでいる時間が長いから。
その間に、
他の相談者のメールに目を通す。
すぐに返信が必要なメールと、
そうではないメールを分類し、
10通ずつ、
その日来ている、
計261通のメールをフォルダに振り分ける。
そうしている時、
ユー・ガット・メールのアナウンスが聞こえ、
受信箱をクリックする。
彼女からのメールでした。
『私はこれまで、
一度も楽しかった思い出がなかった。
地味で、
ブスで、
スタイルも悪くて、
友達もいなくて…
そんな私には、
きっとクレーム受付の仕事が、
当たり前のように振り分けられるんです。
だから、
分相応の今の仕事を、
意味も感じずにただただこなすだけ。
新しいものなんて手に入らない。
私の未来に光なんて射さない!
私なんて、
生きてても死んでても一緒です!』
悲しい。
自分をそんなに嫌うなんて、
悲しい。
でもそういう心理は理解できる。
僕とて、
自分を全て愛してるわけじゃない。
彼女ほど嫌ってもいないが、
自信と言えるほど、
自分を断固愛するほどでもない。
僕は問うてみた。
『どうしてそう思いますか?
あなたを必要としてる人がいないというのは、
僕には悲しい。
両親はどうしてますか?
祖父母さんはどうしてますか?
あなたを愛してませんか?』
この手の問いに、
いつも以上に彼女は返信が遅れる。
事実両親は健在だし、
祖父母さんも健在。
自分を愛してくれているのも理解している。
ゆえに困る。
存在の無意味さを吐露したいけど、
受けた愛情に嘘をつける人間は少ない。
他の相談者のメールを読み、
すぐに返信が必要な人達へ返信する。
『そんな事があったんですか…
心が痛いです…』
『学校で何かあったの?』
『もうそろそろ帰らないといけない時間だよ?
そこにいたら、
補導される時間だから、
せめて駅に向かう素振は見せてね?
後でそこに行ってみるから、
出会わないようにしてね?』
いろんな相談に一つ一つ答えていく。
僕の頭には、
全ての人達のメッセージが記録され、
こうしている最中にも、
彼女のメールに心をとめつつ、
他のメールに心を込めるという、
不思議な能力が備わってるかのようです。
ユー・ガット・メール
受信箱をクリック。
彼女からでした。
『谷川さんは、
親のために生きろと?』
僕は思ったままを返信する。
『生きるというのは、
誰のためにすることじゃないですよ。
自分のためと言えるかさえ怪しい。
でも生きていく。
それが人間だと思います。
生きていく事、
それ自体に意味があるとは思えない。
でも、
生きていく事で、
誰かに出会い、
誰かとかかわり、
誰かと言葉を交わし、
誰かを尊重する。
そうしていくことで、
意味が出てくるんじゃないかな。
生きているだけじゃ意味なんて出てこない気がします。
生きて、
誰かとかかわる事に意味がある。
今、
僕とあなたがかかわってる事も、
一つの意味ある事なんですよ』
送信。
他の相談者のメールを読む。
『今すぐ病院に行こう。
君の家の近くには、
○○という病院があるから、
そこの先生には僕が電話しておいてあげるよ』
『それはヒドイな…
一緒にこの先どうするか考え…』
打っている最中に、
ユー・ガット・メール。
『…てみよう。
一緒になら、
何か対処法が見つかるかもしれない。
少なくても、
1つ2つは見つかるよ。
大丈夫。
一緒に考える事は無駄にならないから』
先ほどのメールの続きを打ち、
送信。
彼女のメールを読む。
『どんな意味がありますか?
私と谷川さんが、
こうして話してるだけで、
どんな意味があるんですか?』
返信メールを作る。
『少なくても、
これであなたは、
自分だけの考えで自分の命を左右する事はない。
自分の価値に見切りをつける事もない。
生きる事に意味がなくても、
事実、
今返信を待ち、
返信メールを作ってくれて、
こうして会話していく事で、
何かにたどり着こうとしているあなたの人生が、
終わらずに続いている。
そこに意味があります』
送信。
ぬるくなったフレイバー・コーヒーを入れなおし、
彼女の生活を想像しながら、
どうして人間は、
そこまでして『生きる』事に意味を持とうとするんだろうと考える。
意味がないと、
どうして不安になるんだろうと考える。
それにさえ意味を感じなくなった時、
どうして自ら命を絶とうとしてしまうのか考える。
生きる事に意味を感じた事は、
僕にはありません。
人と関わりを持った時、
そうか、
僕が生きていくのに必要なのは、
この人達との関わりなんだ、
そう思い至り、
関わっていく事で意味ができてくる。
僕には学習会で関わってる、
ヤンチャな中高生との関係があり、
それを支える家族のようなスタッフとの関わりがあり、
メール相談でつながる子ども達との関わりがある。
職場や実際の家族など、
関わりそのもので言えば、
生きてるだけでは手に入らない、
関わろうとしなければ手に入らなかった関係がそこにある。
その人達と日々生きていく事には、
ものすごい大きな価値がある。
全てが笑顔とはいかないけど、
一緒に泣き、
怒り、
慈しみ合い、
高め合い、
生きていく。
すばらしい価値は、
関わってこそ手に入る。
だから、
僕は人との関わりを諦めない。
僕にはできる。
誰にだってできる。
誰とも関われないなら、
僕にメールくれればいい。
僕が関わるから。
ユー・ガット・メール。
思考から現実に戻り、
スクリーンセイバーの暗転を消し、
受信箱をクリック。
彼女からだ。
『私には、
このメールだけが、
唯一の他者との関わりですもんね…
でも、
ならどうして、
関わりたいならどうして、
谷川さんは私に会いに来てくれないんですか?
どうして助けてくれないんですか?
会って話をして、
友達になってくれたら、
私は救われるのに…』
返信メールを作る。
『僕は人助けをしているんじゃなく、
人が他者とのかかわりを諦めないよう、
言葉を交わす日々を送ってるだけです。
僕に会えば救われるんですか?
ならどうして、
自分から会いに来ないんですか?
僕は会いに行こうと思えば行けるけど、
受身一辺倒で待たれても、
これからもずっと、
僕が会いに行かないと救われない関係の方が、
あなたをダメにする事を理解しています。
自分が動き出さない事は良くて、
相手が会いに来ないのは悪なんて関係、
長続きするわけないですから』
送信。
強く言いすぎたかな?と反省しながら、
失敗もあって当然と思い直し、
他のメールを見る。
返信しようと思ったらすぐに、
ユー・ガット・メール。
『だって…
寂しいし、
怖いんですもん…
ブスな私に会いに来られて、
谷川さんの顔が一瞬でも曇ったら、
私…
もう生きていけません…
だから勇気出なくて、
会いに行けないんです…』
すぐに返信が来たという事も、
彼女の心理状態として、
これが本心なんだというメッセージ。
返信メールを作成。
『僕の対応次第で、
あなたが死んでしまうかもしれない。
そんな重たい出会いを、
あなたは望むんですか?
僕の対応に、
あなたの命はかかっている。
だから丁重に扱えという関係もまた、
長続きしませんよ?
でも、
あなたが寂しいのは、
痛いほどわかります。
これまでたくさんの人と関わろうと思っても、
その度に辛い思いや、
経験をされてきたんだから、
そうなっていくのも無理はないと思います。
ただ、
忘れないでほしいんです。
植物とて、
水や栄養をあげて、
太陽の光を浴びれば育つわけじゃない。
植物自身に、
その栄養素を吸収する機能があって、
初めて育つんです。
僕があなたのために、
万全を期して環境を整え、
あなたが変わるために必要な土壌を用意しても、
あなた自身が変わる意志がなければ、
結局は何も生まれないんです。
どうか忘れないでほしい。
自分の人生を作っていくのは、
他者の協力ももちろんだけど、
何より自分自身がどうしていきたいのか、
どうすべきなのか、
しっかりと判断する意志です。
僕はその意志に寄り添い、
お手伝いできる事はします。
でも、
私を変えてください。
そうでなければ死にますというような、
独りよがりには付き合いません。
死ぬんだという意志にも寄り添いません。
でも、
生きるんだというなら、
いつでも寄り添います。
まずは、
生きること、
関わりを持つ事を、
諦めないでください』
送信。
厳しい。
本当に厳しい言葉だと思うけど、
今の彼女の状態、
返信内容を熟読すれば、
この返信でないとダメだと思いました。
遅くなるのは覚悟で返信を待ち、
他のメールに答える。
『そうか。
それは良かったね。
君の努力の甲斐があったって事だよ。
しかしすごいなぁ。
本当に当選するとは。
君はすごい事を成し遂げたんだよ?
僕もそんな君に関われて、
幸せです』
『悲しいね。
そういう人の悪い部分しか見ない大人がいるのは。
君が悪いわけじゃなく、
その人の見る目が悪いんですよ。
僕には君の事が、
その大人が言うような風には見えてません。
まじめで、
人の事を気遣える、
とても良い人だと思ってます。
どうかそのまま成長してほしいです。
変わる必要なんてない。
今のままで十分魅力的ですよ』
『来週ぐらいに会って話しませんか?
そうしないと、
僕も心配で仕方ない』
多数に返信していき、
ユー・ガット・メールを待つけど、
そのアナウンスが流れても、
違う人からだったりする。
言いすぎたのかな?
厳しすぎたのかな?
そういう思いが過ぎりながらも、
次々に返信していく。
1時間ぐらいが経過した後、
ユー・ガット・メールを聞き、
受信箱をクリック。
彼女から。
『私は、
谷川さんに救ってもらうのが目的だったんですね。
自分は何もしないで、
救われる事のみを欲して、
思うような返信が来ないとヒステリックになる。
それじゃぁ確かに関わりを継続できないですね。
急に冷静になりました。
ありがとうございました。
まず私が動きます。
よかったら近々会えませんか?』
返信メールを作る。
『よかった。
こちらの意図が伝わって良かった。
あなたの思慮深さに感謝します。
ありがとう。
会うのは良いですが、
僕の答待ちじゃなく、
一緒に考えるという事でしたら、
お会いして話す事もありますよ?
意味だってある。
お互い与え合う。
これがコミュニケーションの基本です。
求め合ってはいけませんね。
いかがですか?』
送信。
フレーバー・コーヒーを飲みすぎてるので、
ミネラル・ウォーターを飲む。
ホッとした。
無味、無臭のはずが、
何か溜飲を下げるような、
ホッとした心持のためか、
水が美味しく感じる。
彼女からのメールは、
日時の調整と、
自分は今後どうすべきか、
会うまでに考えておくという意思を記述し、
送られてきました。
再来週、
僕は彼女と会い、
話をします。
外見で相談のノリは決めない僕が、
内容として充実した相談に乗れるか、
人生相談は難しい。
彼女のメールの合間に返信した子ども達のほとんどは、
リストカッターだったり、
イジメを苦に不登校になった子ども達ばかり。
夜の街に入り、
犯罪の範疇で生きながらえている子ども達ばかり。
不良と言われ、
不良になった原因には、
誰も踏み込んでくれない子ども達ばかりです。
ウリをしている女の子を足抜けさせる算段をしながら、
僕は複数の子ども達に返信する。
実が入っていないのでは?
と言われる事もありますが、
ポテチ食いながら誰かと電話している人や、
テレビ見ながらメールしている人より、
よっぽど実が入っているつもりです。