既定というのは、
人それぞれによって答が違い、
どれが正しく、
どれが間違っているというのは、
他者が言う事ではないのですが、
世の中の『普通』の概念が作り出す、
一般的な尺度の事を言うんだと思います。
以前、アメンバーのみほさんの日記でもあったのですが、
友達と親友の違いや、
夜のメール相談でよく質問される、
普通と異常の違いなど、
既定するには個人の理解差があるので、
既定しにくいものが多いと思います。
つまり、
既定というのは、
非常に曖昧なものであり、
逆に決め込んでしまうと厄介なものなんじゃないでしょうか。
例えば、
校則なんてどうでしょう。
なぜ制服じゃないとダメなんでしょう。
なぜ生徒手帳を常に携帯しないといけないのでしょう。
なぜ茶髪はダメなんでしょう。
あるべき学生の姿を既定し、
それに合わせる事で、
規律に従う精神が身に付くんでしょうか。
自由を奪われていると感じる人も多い中、
既定を守らせる事に躍起になり、
既定を破る者は帰宅させる事もあります。
それで既定通りになって再度登校してくる子どもが、
どれだけいるんでしょうか。
それよりも、
もっと楽しい授業を考える事に時間を割いて、
子ども達が楽しく学べる環境を作る方が、
より求められるニーズじゃないでしょうか。
しかしながら、
学校や社会は既定を重んじますね。
とまぁ、
お堅い話はこれぐらいにして、
僕が何を言いたいかというと、
『優しさ』
は規定できるものではないという事です。
よくメール相談をしていると、
『谷川さんは優しいね』
なんて言われますが、
僕の中の優しさの既定は、
僕が実施している事ではありません。
僕は本当の優しさがどういうものかわからず育ち、
故人となってしまった恩師から優しさをいただき、
夜の闇から抜け出し、
昼の世界に帰ってきた人間です。
先生がくれた優しさが、
僕の中の既定です。
あれが優しさなんだって思うんです。
つまり、
優しさの既定は、
自分の親や兄弟など、
身近な人達からもらうものが既定になるので、
それぞれによって答が違ってくると思うわけです。
4年前でしたか、
モンスターペアレントを何とかしてくれという、
教員からの相談があり、
僕は学校に乗り込む親の顔を見に行きました。
『ウチの息子が、
○○っちゅう先生にドアホって言われたらしいけど、
お前ら教師はそんなに偉いんか!!』
職員室に怒号が飛び交っていました。
いや、
正確には親父さんが一人でエキサイトしていたのです。
話を聞くと、
子どもが授業の最中に、
隣の生徒と話をしていたので、
教員が出題したそうです。
それにその子が答えられずにいると、
教員がドアホと言ったといいます。
そりゃ親御さんが怒って当たり前じゃないのか?
と思ったのですが、
担当教員は言っていないと言います。
他の生徒に聞けば良いやんと思い、
僕はクラスの生徒に聞いて回りました。
すると、
『いや、
先生はドアホとは言ってない。
ちゃんと聞いてないから答えられないんやぞって言っただけやで』
という答えが圧倒的多数でした。
職員室に戻り、
それを伝えると、
モンスターペアレントは逆ギレしたものの、
時間が経つにつれ冷静になり、
説得に応じてくれました。
顔にドロを塗られた事で、
親父さんは息子を怒鳴ろうとしたのですが、
僕はサッと息子を外に出し、
聞いてみました。
『何で嘘ついたん?』
『…』
『ま、そう聞こえなくはないけどね。
でも事実を伝えないと、
毎回こうなったら、
お父さん、モンスターペアレントって言われて、
場合によっては君の学籍にまで影響するよ?
本当に言われた時は、
俺も一緒になって学校側に苦情言ってやるから、
次からはちゃんとお父さんに伝えような』
『…あの先公…
気に入らんかってん!!
前からずっと俺の事ばっかり目の敵にしやがって、
そりゃしゃべってる俺も悪いけど、
だったらわかりやすい授業しろっての!!』
『あはは。
そりゃそうだ。
でもな、
問題はそこにないな』
『は?何で?』
『問題は、
先公がムカつく事じゃなくて、
お前が授業わからんのが問題や。
悪いって言ってんじゃなくて、
わからん授業されてて、
わからんって事をテスト結果見て知ってるクセに、
先公が理解してくれへんで、
しかも当ててくるってのが気に入らんわけや。
つまり、
授業についていけるようになったら良いんちゃう?』
『そんなん簡単にできるわけないやん!!』
『できるよ。
俺の知ってる先生のとこ行こうか』
『え…』
『膳は急げ。
早速いくぞ!!』
僕は親御さんに了解を得て、
車に彼を乗せて寝屋川まで行きました。
寝屋川に住んでいる養護教諭の先生がおり、
相談してみました。
僕はこの先生と縁が深く、
昔から僕の論理を理解してくれて、
支援してくださいました。
まずはどこで躓いているか確認します。
彼は、
小数点の計算と、
分数の計算から躓いており、
それで因数分解の授業を聞いていたわけです。
そりゃ面白くも何ともないですね。
彼は週末土曜日に寝屋川の先生宅を訪問し、
勉強を見てもらうようにしました。
3ヶ月後、
この子は授業中に話す事も少なくなり、
成績も上がってきたことを親御さんも喜び、
志望校に進学もできました。
SOSを出してきた先生に、
『いやぁ、ホントお世話になりました。
ホント困りますよね。
最近ああいった親御さんが増えてねぇ。
こっちも困ってるんですよ。
あの親にしてこの子ありって感じですか?
それにしても谷川さんはすごいですねぇ。
どうやってなだめたんですか?』
気付けば、
キレイに整えられたネクタイを締め上げ、
顔が引っ付きそうなほど近くで睨み付け、
こう言っていました。。
『人の親バカにしてる暇あったら、
素人の俺に出し抜かれた事を恥じろ。
お前に俺は抜けへんやろけど、
一応努力してみろよ。
大人やろ?
子どもに努力の素晴らしさ教えるんも、
教員の仕事やと思うぞ?
だとしたらまずお前が頑張れや』
僕を優しいと言うのは誤解です。
こういう発言をされると、
すぐにキレます。
故人である先生もそうでした。
曲がった事が大嫌いで、
信念を曲げる事は死を意味するという感じで、
決して譲らない頑固さを持っていました。
ですが、
僕は先生に叱られた事はありませんでした。
どんな悪さをしても。
僕の知っている優しさはそういう類のものです。
先々週、
ADHDやLDなど、
学習障害の勉強をしに行きました。
そこに集まる親御さんは、
自分の子どもが病気、
もしくは障害を持っているんだと悲壮感漂う顔で、
講座に真剣に聞き入っていました。
学習障害の子ども達を、
正しく育てるための『ペアレント・トレーニング』があり、
色んなケースで、
子ども達をどう支援するか、
どういう声をかけるかなどをトレーニングします。
そして講座終了後、
隣の席にいたお母さんと帰り道が同じで、
声をかけられました。
『あなたもお子さんが?』
『いえ、僕は中高生のメール相談をしてまして、
その子達の支援のために、
学習しに来ました。
まだ未婚ですよ』
『それは失礼しました。
たいへんですねぇ』
『お互いですね』
『私も最初は愕然としました。
でも、
私のお腹にいた子ですもん。
どんな個性であろうが愛しいです』
そう言って笑顔を見せられました。
とても優しい笑顔でした。
帰り道の途中にケーキ屋さんがあり、
そのお母さんは子どもへのお土産を買っておられました。
とても幸せそうな顔でした。
僕は、
僕の中の既定で優しさを計りますが、
それでもたくさんの人に出会い、
たくさんの感情をぶつけあってきましたからわかるんです。
人は必ず成長する。
優しさを知らなかった僕でさえ、
優しさや幸せさを感じる事ができるようになったんですから。
それと同じように、
子ども達にはたくさんの出会いをしてほしい。
そこからたくさん学んでいってほしい。
そう思います。
メール相談の子ども達と、
たまにまとまってピクニックや、
海や山に行ったりします。
リストカットの子ども達、
ひきこもりの子ども達、
イジメに苦しんでいる子ども達、
依存症の子ども達と一緒にです。
初めて会った子同士でも、
帰る頃には仲の良い友達です。
僕もその友達の一人になります。
その時の子ども達の優しい姿や、
後片付けをしっかりして、
山や海を汚さないようにして帰る姿は、
とても優しい行動です。
僕は色んな優しさを子ども達からも学びました。
ある子にこう聞かれました。
『栄チャンは優しいね。
どうしてそんなに優しいの?』
僕は答えました。
『君はまだ本当の優しさを知らない。
いや、知ってるけど忘れてるんだよ。
本当の優しさってのはね、
子どもにお土産を買ってる時の親の顔や、
目の前でお土産のケーキを美味しそうに食べる子どもを見て、
微笑んでいる親の顔とか、
君も知ってるはずだよ?
だからきっと君も、
将来優しくできるんだよ』
きっと誰でも、
優しさを知っている。
知らなくても、
いずれ知る事になる。
僕がそうだったように、
世の中には優しさがたくさんあるんですね。
それに気付けるよう、
僕達大人は生きてるんだと思います。