ハツミが相談に関わったのは、
彼女がソープランドで働きながら、
一人の子どもを育て、
育児に疲れた頃でした。
ハツミには夢がありました。
いつか東京に出て、
歌に関わる仕事をしたい。
そう思い、
東京へ観光ついでに部屋探しをし、
そこで知り合った不動産業者と恋に落ち、
帰って学業に励もうと思った時、
お腹に赤ちゃんがいることを知りました。
すぐに彼に電話しました。
しかし『現在使われておりません』…
不動産店舗にも電話しましたが、
彼は辞めたとの事。
彼女は大学生だったので、
おいそれと産む決心がつかず、
親にも相談できずに、
堕胎手術もできない時期に入りました。
彼女は親に話しました。
厳格な父親は猛烈に怒り、
母親も泣くばかり。
でもお腹は大きくなっていく。
彼女は産む決心をし、
大学を辞めました。
そして、
親から勘当されてしまい、
家を出る事になりました。
出産を迎えても、
誰も傍にいてくれない寂しさ。
ハツミ孤独に押し潰されそうになりながら、
分娩台に乗りました。
一時間後、
初産にしてはスムーズに、
元気な男の子が生まれました。
荘司と名付け、
自分に寂しさを感じさせない天使に、
絶対に夢を諦めてほしくないと、
お金で苦労させないために、
夜の仕事を選びました。
しかし、
夜の世界とて、
子持ちの母親の都合を、
全て聞いてくれるわけもなく、
荘司が体調を崩せば、
休まざるを得ない。
何軒もクラブをクビになり、
収入が多く、
週2~3回で生活費と、
養育費が貰える職業だと誘われ、
ソープランドで働く事を決意しました。
何度か客から病気を感染され、
休まざるを得ない状況にはなったものの、
確かに週3回で、
ある程度の生活ができるようになりました。
荘司の育児は、
想像を超える大変さでした。
夜はほとんど熟睡できません。
3歳までは突然死もあると聞かされ、
一睡もできない日が続きました。
彼女はとても真面目です。
真面目がゆえに、
力を抜く事は、
手を抜く事だと思い込み、
全力で子育てと仕事をこなしました。
パンパンに膨れた風船は、
ちょっとした傷で割れます。
彼女がそうでした。
保育園で会う親御さんが、
ハツミがソープで働いている事を知り、
噂が一気に広まりました。
何人かの父親が、
優しい声をかけてきて、
不倫を申し入れて来たそうです。
そしてある父親が、
フラれた腹いせに言いました。
『男のアレくわえ込んで育てた子は、
果たして幸せなのかねぇ!』
ハツミはその男を殴り、
保育園に通えなくなりました。
別の保育園に荘司を預ける決断をした時、
あの男が言った言葉が胸を刺し、
張り詰めていた気持ちが、
一気に破裂してしまいました。
何事にも無気力になり、
家から出るのも億劫になりました。
必要以上に荘司に入れ込み、
気付けば荘司以外を信じれなくなっていました。
前の保育園に通う親御さんで、
クラブで働いている女性がいました。
僕の相談者で、
名をキョウコと言います。
キョウコはハツミの事が心配になり、
彼女の家に行きましたが、
門前払い。
隙間から見えた家の中は、
ゴミで溢れていました。
何度か家に行ったのですが、
怒鳴り散らされ、
追い返されます。
そこでキョウコは僕に連絡をくれました。
『栄チャン、
私、ハツミさんを見殺しにしてた…
同じような境遇やのに、
イジメられてるん、
見て見ぬふりしてもうてた…
彼女を助けたいねん!
力貸して!』
僕はすぐに彼女の家に向かいました。
キョウコから一定の説明を受け、
僕はドアの前に立ち、
こう言いました。
『ハツミさん、
はじめまして!
私、谷川栄一と申しまして、
子ども達の相談などを受けるボランティアしてます。
お子さんの荘司くんの事で、
お話を伺に来ました』
しばらくして、
チェーンでつながったままのドアが開き、
目が窪み、
痩せたというより、
やつれているハツミと顔を合わせるました。
『…な、何ですか…』
『荘司くんの事で、
ハツミさんのお話を聞きたくて。
中に入れませんか?』
『…散らかってますから…』
『結構じゃないですか。
話せたら何でも良いです。
気にしないでください』
一度ドアが閉まり、
チェーンを外す音が聞こえ、
ソロリソロリとドアが開きました。
ゴミの量がハンパなく、
彼女の精神状態が、
いかに危険か理解しました。
『カワイイですね、
荘司くん』
『…何の用ですか…』
『あぁ、すみません。
ぶしつけな質問ですみませんが、
ハツミさんは荘司くんに、
どんな風に育って欲しいとお思いですか?』
面を喰らったような顔で言います。
『は…はぁ…
元気であれば良いかと…』
『そうですか。
で、願い通り元気だと』
『そ、そうですね…』
『夜泣きは頻繁でしたか?』
『そりゃもう…
毎日眠れませんでした…』
『そりゃ大変ですね…
今もですか?』
『はい、今もあります。
でも以前よりはマシかな…』
『わかりました。
ハツミさんは、
とても真面目に荘司くんをお育てのようで、
誠意ある対応をしてくださる。
もしご迷惑でなければ、
来週も寄せさせていただけませんか?』
『え…な、何のためですか?』
『あなたのためですよ。
頑張ってる親御さんに、
お話を聞きたいし、
頑張り過ぎて疲れてないか、
心配なもので』
『…はぁ…』
『じゃぁ次回は、
荘司くんの笑う瞬間や、
怒る瞬間についてお聞きしますね。
じゃ、これで』
僕は部屋を後にしました。
ハツミはポカンとしていましたが、
表情から、
次回も部屋に入れてくれると確信しました。
キョウコはビックリしてました。
『ようあんなにスッと入れたなぁ…
さすがプロやね』
『引きこもりの子ども達の部屋に、
何回入ってきたと思ってんねん。
まだマシな方やで』
たくさんの情報も手に入りました。
虐待の傾向はありませんし、
荘司くんは栄養を取れているようです。
アルバイト情報誌を読んでたようで、
パートの欄が見えました。
その気にはなるが、
無気力で一歩が出ない。
うつ病である確信を持ちました。
翌週、
やはり部屋に上げてくれました。
そして、
荘司くんのあやしかたを教えてもらい、
『抱っこして良いですか?』
と聞くと、
少し困惑の表情は見えましたが、
抱っこさせてくれました。
教わったとおり、
荘司くんの笑うポイントを実行し、
荘司くんが笑顔になりました。
ハツミは言いました。
『お子さんいるんですか?』
『いえ、姪っ子がいますんで、
それで多少は慣れてるんです』
『いくつ?』
『2歳です』
『お名前は?』
『ユイとシュリ。
2人です』
『子ども好きなんですね』
『わかるんですか?』
『顔見ればわかります』
彼女から話しかけてきた事で、
距離は縮みました。
焦らずコミュニケーションを増やそう。
そう思い、
メアドを交換し、
次回の約束もしました。
ほぼ毎日メールをし、
荘司くんの事から、
ハツミ自身の趣味や身の上話などを聞き、
信頼関係ができてきて、
キョウコに家に行って謝罪するよう、
言いました。
キョウコは謝罪しました。
『ゴメンね…
アナタの事、
見殺しにするような事して…
助けたかったのに、
勇気がなかったの…』
最初は帰ってくれと言われたみたいですが、
3回目には次第に声のトーンが変わり、
4回目には少しずつ話せるようになり、
家に上がる事ができるようになったそうです。
キョウコは食事の準備をしたり、
掃除を手伝ったりしました。
お互いの子どもを紹介し合い、
お酒を酌み交わすまで時間はかかりません。
僕は僕で、
彼女を通院させ、
うつ病の治療に力を入れ、
一方で、
荘司くんの写真を持って、
両親に会いに行きました。
『ハツミさんの代理の者です。
この子があなた方のお孫さんです。
写真だけ置いていきます』
僕の連絡先メモも置いていきました。
数日後、
ご両親から連絡がありました。
『ハツミは元気か?』
『孫は元気か?』
『名前は何と言うんですか?』
質問の連続でしたが、
冷静に言いました。
『勘当なさったんですよね?
答える義務はありませんが』
怒りも見せましたが、
両親とて娘や孫がかわいくないわけじゃない。
すぐに
『会わせてほしい』
と言われました。
断りました。
『謝罪するつもりなら良いですが、
会って説教くれるなら、
会わせる価値はありません』
『頼む。
素直に謝罪するから、
娘に会わせてくれ…』
恐らく大丈夫だと思いましたが、
制約を作りました。
彼女の身に起きている、
仕事以外の事を説明しました。
『彼女は今、
孤独の中で出産し、
孤独に子育てしてきた疲れが、
一気に噴き出してしまい、
心療内科で治療中です。
もしあなた方が理解してくれていたら…
愚痴はやめておきます。
ですが、
彼女の一友人として、
約束をしてもらいたい。
自分達の非を認め、
彼女を絶対に責めないと誓ってください』
治療の進行具合を見て、
先生とハツミに相談して日程を決め、
僕とキョウコ同席のもと、
ハツミは両親に会う事になりました。
孫を抱くハツミを見た両親は、
涙で声が出ません。
ハツミは言いました。
『パパ、ママ、
寂しかったよ…
荘司がいなけりゃ、
今頃…』
ハツミも涙で声を詰まらせました。
『スマン…』
父親の崩れる体を、
ハツミは支えました。
『パパ、ママ、
これから一緒に荘司を育ててくれない?
私一人じゃ、
やっぱダメだわ…』
わがまま娘だったハツミの素顔が、
冷え切った関係を、
暖かく包み込みました。
家族4人、
支え合って荘司をあやす姿に、
僕もキョウコも、
涙を流していました。
ハツミは家に戻り、
実家近くの保育園に荘司を通わせ、
保育士の資格を取ろうと必死です。
『歌手になんじゃないの?』
と聞くと、
『保育園じゃ、
ピアノ弾いて歌わないといけないっしょ?
これも立派に歌に関わる仕事よ』
『なるほどね。
あ、それとね、
前の仕事の事は言ってないから。
厳格な親だったら、
言わない方が良いかと思ってね』
するとキョトンとした顔でハツミが言います。
『え?
私言ったよ?
ソープで働いてた事は恥なんかじゃないし、
私が決めて働いてたんやから、
それも私の人生の一部だもん』
なるほど。
強いわけだ。
『あ、そうだ栄チャン、
私に不倫持ちかけて、
最低な事言ったオッサンいたでしょ?
キョウコがね、
そのオッサン殴ったらしいよ?』
『え?マジで?
何でまた?』
『不倫持ちかけてフラれたオッサンって、
奥さんいる前で言ったんだって。
そしたら逆上してさぁ、
掴みかかって来て、
投げ飛ばした上に、
鼻へし折ったらしいよ。
しかも奥さんにまで張り手。
あのオッサンも踏んだり蹴ったりね』
『忘れてた…
あいつ合気道やってたんや…』
『で、居づらくなったからって、
来週からこっちの保育園に通うって。
ウチら長い付き合いになりそうだわ』
『ダチがおるっちゅうのは、
かけがえのないモンやな』
『うん。
キョウコも保育士目指すってさ』
『何人かお父さん投げ飛ばしてそう…』
『ホンマ心配やわ』
そう言って笑いました。
荘司ももう4歳。
キョウコの子も同い年。
ハツミも混じって合気道の練習をしてるそうで、
余計な事でも言っちゃったら、
僕の鼻もへし折れそうです…