こんばんは。
谷川です。


二日間パソコンもケータイも、
まとまった時間で触る事ができず、
日記更新が途絶えていたことで、
心配メールやペタくださった皆さん、
ご心配をおかけしました。


ですがこの通り、
本人はピンピンしておりますので、
これからも書き続ける所存です。


ありがとうございます(^-^)





僕の身の回りには、
大変な苦労を背負い、
うつむかざるを得ない出来事に遭遇し、
それでも必死に生きている、
そういう人達がたくさんいます。


一年前に出会った中国出身のモデルさんは、
難民として他国へ移住し、
現地で知り合った日本人と母親が結婚し、
日本国籍を取得後、
苦学して日本語を覚え、
モデルの仕事で生計を立てておられました。


人づてに僕の事を知り、
相談メールをくれました。


『眠れません…
 自分が崩壊しそうです…』

詳細な相談内容を聞き、
緊急性が高いと判断し、
面着し、
問題解決のため一緒に悩み、
彼女は自力で『入院』という答えを見つけ出しました。


彼女には、
深い深いトラウマがあります。





難民の乗る船は、
豪華客船ではありません。
いつ沈んでもおかしくないボロ船で、
まともな食料も積んでいない、
生き残れる確率の方が低い航路です。
他多数の人間とともに行く、
先の見えない航海です。


彼女の家族は、
父、母、兄、本人、妹という、
一人っ子政策に反した家族形成であり、
国からの保証もない家族は、
あっという間に貧困に陥り、
国を捨てなければなりませんでした。


そこで彼女は、
恐ろしいものを見てしまいました。


船内の異常な衰弱状況と、
飢えにより人は冷静な判断ができない状態。
持参の食料と水も残りわずか。
父も体調を崩し、
もう終わりだと絶望が頭を支配した夜、
事件が起きました。


正確には、
彼女は直接見ていないのですが、
翌朝、妹の姿が見えなくなっていたのでした。


彼女は船内も船上も探しました。
どこにもいません。


両親にその事を告げました。


すると両親は素っ気なく、


『海に落ちたんじゃないか?』


と答えました。
長い難民生活は、
人の極限状態は、
人の表情を奪います。


しかし返事をした両親には、
明らかに後悔の表情が浮かんでいました。


彼女は悟りました。


『口減らししたんだ…』


残り少ない食料が減るのを、
一日でも延ばしたいのであれば、
食べる口を減らす。
極限状態は人を冷静にさせません。


なぜ妹が選ばれたのか。

儒教の国によく見られる、
男尊女卑の結果でした。


兄は一家を支える重要な人材。
しかし妹は…


そういう判断が異常だと言うのは簡単。
実際、日本の常識は、
日本でしか通用しない場合も多々あります。


彼女は思いました。


『次は私だ…』


それからというもの、
夜眠れません。


寝ている間に…
と思うと、
全てが猜疑心で埋め尽くされます。


『早く寝ろよ』の言葉が、
『次はお前だよ』に聞こえる。


彼女はその日から、
一睡もできなくなりました。

気を失うように寝ても、
物音が聞こえたら飛び起きます。


毛布をかけ直そうと近寄った母を、
突き飛ばしたりしました。


事件から何日経ったでしょうか。
父が病気で亡くなり、
兄も同じ病気で亡くなりました。


もはや記憶も混濁している中、
偶然にも某国の漁船に助けられ、
一命は取り留めました。


言葉もわからず、
女手二つ。
どこかもわからない国で生き延びるため、
母は体を売り、
食いつないでいました。


そこに偶然やってきた日本人と、
母は結婚。
一家はほどなく日本で暮らすようになりました。


日本の中学に通い、
必死で日本語を覚え、
父の会社でアルバイトをしながら、
一人暮らしに思いを馳せました。


しかしながら、
平穏な日々の中でも、
彼女の心は蝕まれていきました。


相変わらず夜眠れません。
小さな物音で飛び起きてしまいます。
夜、父が娘の顔を見ようと部屋に入ると、
絶叫してパニックを起こします。


PTSD。
僕は話を聞きながら、
その症状を感じ取りました。


すぐさま医療につなげ、
ご両親に説明し、
納得させるのに時間がかかりました。


彼女は高校に行かず、
モデルをしていたのですが、
治療に専念させるという判断で、
今は仕事を休業し、
入院しています。


再来週には退院できるようで、
比較的安定してきているという情報も入り、
ひとまず安心はしています。


ただ、根本を治療するのはかなり困難です。
対処療法しかできなんじゃないか?
先生もそう思っているようです。


すさまじい経験です。
どう緩和できるか、
カウンセラーも頭を抱えていますが、
難民支援のNGOで働いている友人が、
彼女の支援に乗り出すと言ってくれました。


もしかすると、
彼らとカウンセラーが手を組み、
適切な医療が成されれば、
原因療法ができるかもしれない。


どんなピンチにあっても、
希望は一つは残されている。


僕の考え方の一つです。


パンドラの箱でさえ、
あらゆる厄災と一緒に、
たった一つの希望が入っていた。


どんな状況にあろうが、
相談を受けた僕ぐらいは、
最後まで諦めるべきじゃない。


この希望の綱が、
彼女に有効な治療につながるよう、
僕はできることをするだけです。


面会に行くと、
彼女は言います。


『中国には、
 あなたのような人はいない。
 私の病気が、
 あなたや父のような、
 優しい日本人を傷つける。
 それが何より辛い…』


彼女が難民生活を送らなければいけなかった、
情勢や環境。
それは中国という国の問題だとは、
軽々しく言えない。


経済大国になった中国の抱える、
二極化という側面は、
指摘しても批判しても変わらない。


しかし、
国は変わらなくても、
彼女の人生は変わるかもしれない。
彼女の心に触れ、
僕の中にある中国への思いが変わり、
母も日本への思いが変わったように。


彼女が手紙をくれました。

『薬を飲まなくても、
 少し眠れるようになりました。
 妹の夢を見ます。
 妹は女優になりたがっていた。
 夢で女優になっている妹がいました。
 気付いたんです。
 妹がなりたがっていた女優になるため、
 モデルなんてしてたけど、
 お姉ちゃんにはやりたい事してほしい、
 そう夢の中で言われたから。
 私は何がしたいのかわからないけど、
 先の事を考える時、
 また谷川さんに相談したいです。
 乗ってくれますか?』


まだ日本語が完璧ではないので、
文脈が少し変わっている彼女の手紙は、
少なくとも、
回復の兆しを感じさせる内容でした。





世の中には、
色んなものを抱えている人達がいる。


個人によって感じ方も違えば、
同じ病気でも、
原因が違うことも多々ある。


それぞれが深く悩み、
道が閉ざされていると思う事も仕方ない。


でも、忘れないでほしい。


どんなピンチの中にあっても、
必ず希望は残されている。


諦めた時、
それが見えなくなり、
感じれなくなる。


諦めそうな時は、
声をあげて助けを求めてほしい。


きっと声の届く大人はいる。


何人に無視され、
裏切られても、
必ず助けてくれる大人はいる。


ウチの学習会のスタッフは、
全員その素質を持っている。


大阪市の新大阪駅近くには、
最低でも10人は声をキャッチできる人間がいる。


皆さんの街にも必ずいる。


どうしても見つからない時は、
インターネットという文明が、
僕らの距離を縮めてくれる。


だから諦める必要はない。


心からそう思います。