児童虐待防止に関する講演依頼を受けて、
グダグダと2時間話し続け、
質問を受け付けると、


『ただキツく言われただけで、
 虐待だと騒いでいる子ども達もいる。
 全てを真に受けたら、
 こっちが持たない』


などという質問が来たりします。


そうおっしゃる方は9割が年輩の方で、
旧日本式の『しつけ』だと主張します。


こういう主張の方には、
1も2もなく


『相談窓口に関わるのを、
 そろそろお辞めください』


とお願いします。


例えばイジメ。


筆記用具や上履きを隠されたのと、
殴る蹴るの暴行を受けるのと、
どちらが苦しいと思いますか?


と聞かれたら、
たいていが後者を選びます。


イジメに重い軽いがあるんでしょうか。


やられた側は、
学校に行けばやられると思うし、
人それぞれに、
苦しい気持ちは同じです。





先日、
というか毎日ですが、
メール相談をやっていますと、

『イジメられてます』

『生きるのが辛いです』

という趣旨の言葉を、
それこそ山のように見聞きするわけです。


コイツの受けてるイジメは軽いから、
先にこの重たいケースを解決しよう、
などと思って相談を受けるなど、
言語道断です。
向いてないから辞めなさいと言って当然。


恋人が死んだ絶望から、
自分を傷つけるようになった女の子がいます。

彼女はうつ病になり、
オーバードーズ(薬の過剰摂取)が止まりません。
彼女は広告を見て、
相談窓口に電話しました。


『早く忘れて次の人を見つけなさい』


窓口の女性が言った言葉はそれでした。


僕のところに相談メールが届き、
事態が発覚。


すぐに担当者につなげ、
相談窓口の人間が、
主観的なアドバイスをするのが相談窓口か?
と苦情を突き付けました。


窓口の方は、
今に縛られていたら、
未来が見えなくなると言ったつもりだと言います。


しかし、
どこの世界に、
愛する恋人が他界した直後、
次に向けて頑張ろうなどと思えるでしょう。


やはりその窓口の方も、
年輩の女性でした。
戦中は、
愛する人を失うなど、
ゴロゴロあった話だとも言います。


だからといって、
今現代にその感性と論理が、
まかり通ると思っているんでしょうか。


僕なら、
自分でそう思えるよう、
彼女の痛み苦しみに寄り添います。
アドバイスなどしません。


結局彼女も、
自分で答えを見つけました。


『私がどん底じゃ、
 彼も嫌だろうな…
 きっと忘れる事なんてできないけど、
 ずっとずっと忘れらんないけど、
 今はそんな自分のまま、
 ゆっくり歩いていくよ』


人間は弱い。
人それぞれ痛みがあり、
感じ方は人の数だけ違う。
だからこそ、
絶望の中で何かを諦めてしまいそうな時、
誰かがいてくれる、
見守ってくれる事がうれしい。


彼女は新しい恋人を見つけました。
彼は彼女の元カレが他界したのを知り、
墓前で手を合わせてくれました。


つながる力は本当に強い。
人間は弱いが、
だからこそつながる思いや絆は強い。


僕はそれを信じて、
子ども達に寄り添う相談しかしません。





古き良き日本と言いますが、
少年犯罪が最も多かったのが、
戦後復興期。


少年ギャングが多く、
女の子は幼女売春をして家族を食わせていた、
そういうケースも山ほどあった時代です。


良き時代でもあったが、
悪き時代でもあったはずです。


その頃のしつけは、
かなり暴力的でしたし、
それで育った人達にすれば、
イジメの苦しさより、
しつけの一環としての相談しかできないんでしょう。


押し付けるしか知らない方は辞めていただきたい。


今の子ども達には、
現代の時代の歪みがのしかかっている。
当時の状況とは全く違う。


そして何より、
そういう時代にしたのは諸先輩方です。


最近の子どもはわからん?


わからんような時代にしたのは、
間違いなくアンタらだよ!


講演でつい言っちゃいました。
まぁ、後悔はしてませんけどね。


とにもかくにも、
人はそれぞれ痛みが違い、
感じ方が違う生き物です。


僕にとっての正解が、
必ずしも子ども達の正解とは限らない。


だからこそ、
人を認め、
信じ、
寄り添うんです。


子ども達、
いや、全ての人達の心には、
既に答えがあるんだから。