自分の住む地域をふと見回してみると、
良いとこも悪いとこも、
全てひっくるめて
『故郷』
としての良さに感じるのは人の常だと思います。
僕の住んでいる街もそう。
コンクリートばっかで、
自然との調和など考えていないような環境ですが、
それがゆえに自然への渇望があり、
結構な世帯で家庭菜園などが行われています。
それが高じて、
近くの公園に『人工の池』を作ったり、
色んな自然環境へのアプローチがあります。
住宅地ということもあり、
隣近所の顔も知らないという状況もありますが、
そこで僕が仲間達と一緒に立ち上げた
『バッチリスタディ教室』
という学習会もまた、
環境の悪さから派生した良いものなんじゃないかと自負しています。
今、教育は危機状況にあるそうです。
テレビなどでよく報じられている
『夜スペ』
などで知られる藤原和博氏の教育活動実践。
聞きしに勝る効果と、
聞きしに勝る対効果が出ているようですね。
その良し悪しなど、
僕の論ずるところではありませんし、
やるならどうぞというぐらいにしか思っていません。
しかしながら、
僕達が見ている子ども達は、
藤原氏のターゲットにしている、
いわゆる
『できる子』
ではありません。
むしろその逆、
世間ではその『できる子』の邪魔をするなと言われている子達です。
ですので、
方々へ講演などで行った時に、
よくこの手の質問があります。
『谷川さんたちは、
まるで夜スペの逆を行っているように見えるが、
やはり夜スペを批判的に見ているのですか?』
正直にお応えさせていただきます。
できる子の多くは、
そもそも家庭環境が整っており、
家もそこそこ裕福でしょう。
一方、勉強ができないで悩んでいる『できない子』は、
片親家庭だったり、
生活保護世帯だったり、
色んな困難を抱えた家庭で育っています。
勉強ができない事は、
まるで本人の努力が足りないからというような理屈で責められる事がありますが、
実はこの『環境』というのも、
学力に大きく関係する事なんですね。
そういった様々を背負って勉強が『できない子』達が、
少しの時間でもいいから、
勉強に取り組む。
スタッフとの人間関係の中で、
体で感じて学んでいく、
そういう教育実践をしている私達にしてみれば、
夜スペがどうであっても、
それはそれで良いじゃないかと思うわけです。
僕らは夜スペが網羅している子ども達に対応できていません。
ですが、夜スペが対応できない子ども達に対応できています。
お互い、もちつもたれつ、
そんな意識はなくとも、
同じ『教育』活動をしているグループですから、
いちいちターゲットが違うからといって対立する必要はありません。
協力できるところはしながらが望ましいですが、
お互いが邪魔をせずにやっていけたら、
それで良いのではないでしょうか。
どうも教育活動をしていると、
敵か味方かのような論理に巻き込まれる事があります。
原理原則で考えれば、
もちろん教育というのは『全ての子ども達に教育機会の均等を』と法により決められているわけですから、
できる子だけというのはかなり論議を呼ぶ事だとは思います。
しかし、それを言うなら僕達もそうです。
できない子と呼ばれている子達ばかり受け入れているわけですから、
機会の均等とは言えません。
ただ、民主的思想としては、
困難な部分にこそ多くの支援を、
という意味で成立しているだけです。
まったく、大人はどうして理論やら信仰などの違いから、
いちいち対立してしまうのでしょうか。
さっぱり理解できません。
世界で一番戦争の理由として多いのは、
信仰の問題だそうですが、
違いを否定しあう関係は、
それこそ争いしか生まないと、
なぜ学ばないのでしょうか。
僕は正直、
できる子とかできない子とか分ける思想も好きじゃない。
できようができまいが、
それぞれ子ども達は色んな悩みを抱えるものです。
その子ども達に大人達は、
平等にそれら困難を解消する協力をするものであればいいと思います。
教育はこうだとか、
教育とはとか、
教師じゃないし知らないです。
どうでもいい。
ただ、見て見ぬふりはできないから、
子ども達と学習していく、
ただそれだけです。