去る5月22日金曜日は、亡き実父の四十九日でした。

 

お坊さんにお布施を払う余裕もないので、自分がお経を唱え、彼岸の向こうへ送り出すことにした。

 

唱えやすいお経といえば、般若心経。

 

短文で唱えやすい上に内容が好きだ。

 

ちょっと前に、般若心経を現代語訳した文章をネットで拾っていたが、何か自分にしっくりこなかったので、自分で意訳してみた。

 

それがこちら↓

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観自在菩薩が

内なる叡智を探求している時

五感が感じる世界は、全て幻想であると看破し

一切の苦しみから解き放たれたのである

 

シャーリプトラよ

この世におこる現実は、幻想と異ならず

幻想と現実は同じものなのだ

形あるもの(粒子)は全て、大いなる可能性(波動)に帰し

大いなる可能性から、全ての形あるものが生まれる

 

感受する、想う、行う、認識する、という意識活動もまた

幻想である

 

シャーリプトラよ

あらゆる自然現象もまた、幻想であるから

生まれるということもなく、滅するということもなく

汚れるということもなく、浄化されるということもなく

増えるということもなく、減るということもなく

全ては、波動の現れであるゆえに、実体はないのだ

 

受、想、行、識もないし

目、耳、鼻、舌、体や知性も実在しないし

それらで感じる、形、音、香り、味、触感や法則もまたない

 

見える世界もないし、見えざる世界もない

無明(迷妄)もなく

無明が尽きることもない

 

老いて死すこともなく

老と死がなくなることもない

苦しみも、苦の原因も、苦をなくすことも、

苦をなくす方法もない

知ることもなく、会得することもなく

会得することもないのだから

内なる叡智を探求する者は

そのままで完全なる叡智にいるのだ

 

かくして心に何のさまたげもなく

さまたげもないから恐れもなく

七転八倒夢想妄想の生き様から遠く離れているので

涅槃の境地にいるのである

 

過去、現在、未来の仏覚者たちは

内なる叡智によって

無上の悟りを得ているのである

 

ゆえに知るが良い

内なる叡智こそが

神の真言であり

悟りの真言であり

無上の真言であり

比類なき真言である

 

それは一切の苦しみを除き

真実にして虚妄ではないのだ

そこで、この叡智の真言を伝えよう

 

といって語りだされた

 

Gate  Gate  Paragate

ガテー ガテー パーラガテー

Parasamgate  Bodhi  Svaha

パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー

 

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どうやら、親父さんは、成仏してくれたらしい。

 

仏壇も自作した自分の働きにも感謝してくれた。

 

まずは良かった良かった。

 

 

今回の読経で、自分は前世でお坊さんだったことを思い出した。

 

そのとき今の家族もその時の関係者で、その時のカルマが今世に色こく影響を与えていることも思い出した。

 

そんなこともあって、その後二日間はただグッタリ疲れ果てておりました。

 

終わり。